StarWalker’s diary

映画スター・ウォーズに関する独自の考察、謎解き、分析、最新作のストーリー予想、最新情報を発信するブログ

『スター・ウォーズ』はどこへ向かう?ディズニーのマーケティング戦略から読み解くレイの両親の謎

  2015年12月に公開された『スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒』。その続編となるエピソード8『最後のジェダイ』がいよいよ12月15日に公開されます。『フォースの覚醒』を観た誰もが思う一番の謎。それは新三部作のヒロインであるレイの出自、すなわち彼女が劇中で待っていたという彼女の家族、両親の謎だ。

 これまで、劇中の描写の考察からレイの両親を暴こうとしてきた記事は多いですが、それだけでなく、新三部作を誰を主人公にして、どのような物語にするか?は、これまでジョージ・ルーカスのものであった『スター・ウォーズフランチャイズをディズニーが新しく引き継いで展開していくにあたってのマーケティング戦略の点から読み解くことが重要だ。  

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 製作側の発言からわかること

  先日の記事で、これまでにメディアなどで出ているレイの両親についての製作者サイド(キャサリーン・ケネディー、J.J.エイブラムス、ライアン・ジョンソン)、そしてレイを演じたデイジー・リドリーの主要なコメントをまとめたが、これらのコメントをみてくると、大きく三つのことがわかる。 

 

・新三部作製作側コメントのまとめ記事

www.lakestarwalker.com

 新三部作はスカイウォーカー家の物語

 一つは、プロデューサーであるキャスリーン・ケネディは新三部作を新しいスカイウォーカー家の物語と位置づけていることである。

 キャスリーン・ケネディは、ジョージ・ルーカスの友人であり、ルーカスから共同経営者を経てルーカスフィルムの経営をお願いされた人である。キャスリーン・ケネディは、機会があるごとにインタビューにおいて「『スター・ウォーズ』が家族の物語であること」「ジョージ・ルーカスがつねにそれを意図していた」ことを答えている。

 ルーカスが以前、自身のエピソード7から始まる新三部作構想を明らかにしていた時も、『スター・ウォーズ』がスカイウォーカー家の家族の物語であることを発言しており、ルーカスからシリーズの継続を依頼されたキャスリーン・ケネディは、ルーカスの考えを尊重あるいは考えに共感しており、新三部作をスカイウォーカーの物語として製作する方針でいることは間違いない事実なのだ。

 そして、それは『フォースの覚醒』が公開され、現在『最後のジェダイ』の公開直前になっても変わってはいなく、『スター・ウォーズ・セレブレーション 2017』におけるインタビューにおいてエピソード9以降の映画製作についてもジョージ(ルーカス)は常に9作の映画を意図していた。スカイウォーカーの物語を今後も作り続けるかどうかについては、今考えているところです」と発言している。

 すなわち、逆に言えば「ジョージが望んでいた9作はすでに(彼が望んでいたように)スカイウォーカー家の物語として作っている」ということだ。  

『フォースの覚醒』で示された答え

 キャスリーン・ケネディの発言から、ひとまず新三部作がスカイウォーカー家の次世代の物語であることは明らかである。

 では、具体的にレイの両親の誰であり、どうスカイウォーカーの物語につながるのか?その答えは、デイジー・リドリーの発言からわかる。

 デイジー・リドリーは、一貫してレイの両親に関する答えは『フォースの覚醒』の中で明らかになる、あるいは明らかになっている、と発言しており、映画公開前も後もそう信じている

 では、デイジー・リドリーの言う通りに、素直に『フォースの覚醒』を鑑賞してみよう。すると答えはおのずと明らかであり、レイの父親は、ルーク・スカイウォーカーその人しかありえない

 多くのファンが指摘している通り、細かくみていけば、やれオビワンだのパルパティーンだのということは言えるだろう。しかし、深く考えてみなくても、『フォースの覚醒』は何よりまず映画であり、スター・ウォーズ・コミュニティーにいる熱烈なファンだけが観るために作られているわけではない。むしろ、ディズニーは、巧妙なマーケティング戦略を通じて、新三部作でこれまでスター・ウォーズと接点のなかった顧客を引き付けることを目指しており、新作映画の正式タイトルにあえてエピソード7を入れず『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』とし、わざわざ砂漠の惑星としてこれまで登場してきたタトゥイーンでなくジャクーという惑星を設定し、旧三部作に登場した惑星は登場させずに、すべて新しい惑星を設定しているくらいだ。

  したがって、『フォースの覚醒』を見て素直に感じたことが、そのままデイジー・リドリーの発言の意味するところである。『フォースの覚醒』のレイにはルークとの多くの共通点があり、また劇中に登場する場面を見ても、得られる結論は一つしかない。

 すなわち、レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘という結論である。そして、これはキャスリーン・ケネディが語っていた「新三部作=スカイウォーカーの次世代の家族の物語」構想と矛盾しない。

 しかし、共通点だけでは、ルークがレイの娘である証拠にはならない。別にレイの物語をルークの物語に重ね合わせたとしても、キャラクター設定上のルークがレイの父親でなくてもよいからである。それに、レイがルークの娘でなくても、『フォースの覚醒』は、スカイウォーカーの物語として成立する。もちろん、カイロ・レンがいるからだ。カイロ・レンはベン・ソロであるが、母親レイアと繋がっているわけで、カイロ・レン、レイア、ルーク、アナキンを含めれば、これは立派にスカイウォーカーの次世代の物語と言えてしまう。

 つまり状況証拠はそろっているが、確証がないのである。じつはこの宙ぶらりんな状態こそが、レイの両親に関する語られない事実を語っている。

次作以降は監督の手中に

  J.J.エイブラムス、ライアン・ジョンソンの両監督は、レイの両親についての発言について明言を常に避けている。実は、これが一番興味深い。当然、監督であるから新三部作全体のストーリラインについてネタバレ発言はしないだろう。

 新三部作の序章である『フォースの覚醒』は、キャスリーン・ケネディ、J.J.エイブラムスらにより、明らかに「レイ=スカイウォーカーの娘」という設定を念頭に置いて、書かれたものと思われる。

 しかし、私が思うに「レイ=スカイウォーカーの娘」という設定は、まだ決定されてはいないのではないか?いや、その言い方がおかしいならば、今後の物語の展開により、レイの両親は変更される余地を残したまま、あるいは変更できるように脚本が書いているのではないか?

 つまり次作以降(エピソード8、9)の脚本は、J.J.エイブラムスの手を離れており(エピソード9ではJ.J.エイブラムスが再登板することになったので、この話は変わってしまったが)、「レイ=スカイウォーカーの娘」という設定は十分に変わる可能性を残していた。そこは次作以降の監督、脚本に委ねられているのである。

 確かにエピソード8のライアン・ジョンソン監督は、エピソード7から仕事に関わっており、J.J.エイブラムスの製作を横目で見ている。その目的はエピソード7から8への移行をスムーズにするためだ。

 しかし、エピソード8の脚本についてはある程度、ライアン・ジョンソンに委ねられており、その中で「レイ=スカイウォーカーの娘」は変更される可能性を含めていたと考えられる。

 だからこそ、J.J.エイブラムスは、当初2015年1月の時点で、レイの両親について「スカイウォーカーかケノービか?」という質問で、明言をさけた。なぜなら、彼自身がつくった『フォースの覚醒』ではスカイウォーカーだが、ライアン・ジョンソンの脚本によっては変更される余地を含んでいたからだ。そして、同年4月の発言でも、エピソード7には出ていない、と一旦いう一方、それを覆す発言をしている。

 これは、結局J.J.エイブラムス自身、このシリーズがエピソード7以降、どうなるかは知らないのであり、自分が当初「レイ=スカイウォーカーの娘」としたものも覆る可能性が十分にあることを知っているからだろう。

 だから、デイジー・リドリーは『フォースの覚醒』のことだけをもって、はっきり「答えは出ている」と色んなところで言っているのに、その映画を監督したJ.J.エイブラムスは同じことを明言できないのだ。 

 では、なぜこのような事態になっているのか?それはディズニーのマーケティング戦略によるものだからだ。

 

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マーケティング戦略から考える新三部作

リスクヘッジの産物

  キャスリーン・ケネディの発言から、新三部作がスカイウォーカー家の次世代の物語であることは明らかである。そして、デイジー・リドリーが発言しているように、『フォースの覚醒』は、レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘という設定をもって製作されていることも明らかである。

 そして、実はこれは製作側から考えればスター・ウォーズ』というメガ・コンテンツのマーケティング戦略として極めて妥当であり、その面からしても「レイ=スカイウォーカーの娘」というのが最もありえる筋書きなのである。

 なぜなら、新三部作第一作目にあたる『フォースの覚醒』では、何が何でも新旧ファンを満足させて、ディズニー配下となった『スター・ウォーズ』が今後も継続できることを示さればならない失敗できない挑戦であったからだ。

 だから、新三部作の序幕『フォースの覚醒』は、ファンの好き嫌いが分かれそうなものは一切排除し、徹底したマーケティング戦略の上に作っている。そのような中で、一番受け入れやすい物語は何かといえば、『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』の旧三部作ファンをもう一度取り戻すことのできる物語である。実際『フォースの覚醒』は『新たなる希望』のリブートを意識し、スカイウォーカーの物語、善と悪の対立、という基本基軸を踏襲した形で、かなり保守的な作り方をしている。

 そういう意味でいえば、『フォースの覚醒』がJ.J.エイブラムス監督の懐古趣味だ、という批判は半分正しくとも半分間違っている。物語を『新たなる希望』を意識した作品にし、リスクの高いオリジナル要素を加味することを避けているのは、確かに、J.J.エイブラムス監督の懐古趣味もあるだろうが、それと同じあるいはそれ以上にディズニー、ルーカスフィルムによるマーケティングの結果の産物であるのだ。

  その証拠に、製作側はジョージ・ルーカスが提示したストーリー原案まで退けている。ジョージ・ルーカスが提示した物語は「これまでの作品とは全く違う新しいもの」だったらしいが、それゆえに原作者のルーカスのアイデアまで退けることまでしても、製作側はオリジナル作品への懐古を望んだのである。

 基本的に、キャスリーン・ケネディは原作者のジョージ・ルーカスをリスペクトしており、彼女の『スター・ウォーズ』に対する態度もそうである。そのキャスリーン・ケネディでさえ、原作者のプロットを退けたのである。これはプロデューサーとしての彼女の器量を示すものだろう。 

女性主人公に対して敏感だったディズニー

 新三部作を見て『スター・ウォーズ』が新しい世界に突入したと感じたのは、主人公レイが女性であったからだけではない。登場する主要メンバであるフィン、ポーもまたこれまで主役であった白人男性・女性キャラクターに代わって、黒人のジョン・ボイエガそしてヒスパニック系であるオスカー・アイザックを配しており、キャスティングはマイノリティーセンタードな、非常に進歩的な映画になっている。

 現在においては珍しくない女性主人公の物語ではあるが、ディズニー側は『スター・ウォーズ』というメガコンテンツの新作を製作するにあたって、特に女性を主人公とすることに対して敏感であったふしがある。製作のかなり早い段階で、女性を主人公とした物語になることは決定していたものの、その後のマーケティングやプロダクションにおいて、ディズニー側はかなり気を使っていることが伺えるのだ。

 日本では特に問題なく受け入れられたヒロインだが、ジャック・ポソビエック氏のツイッター炎上の件(トランプ支持者で有名なライター。今年5月に自身のツイッター上で「スター・ウォーズは女に乗っ取られるまでは最高だった」とコメントして炎上)に見られるように、アメリカではやはり一部には『スター・ウォーズ』の主人公が女性だというのが受け入れられない方もいたのは事実で、当初、ディズニー側はスター・ウォーズ・コミュニティーにおいて、どこまで女性主人公が受け入れられるか大きな懸念を少なからず感じていたことは間違いない

 実はこれまで、『スター・ウォーズフランチャイズにおいて女性キャラクターがいなかったわけではもちろんない。レイアやモン・マスマ、パドメはもちろんながら、スピンオフ作品でもルーカスフィルムは女性キャラクターを登場させてはいた。しかし、どれもインパクトの強い女性キャラクターとはなりえず終わっている。

 『スター・ウォーズ』の多数が男性ファン層のことを考えれば、主人公が女性キャラクターになることは色々な点に波及する。玩具の売り上げなどはその最たるものだ。単純に男性ファンおよび男の子は、女性キャラクターのフィギュアやグッズを買わない。したがって、女性のスター・ウォーズ・ファンの取り込みに失敗すれば、映画の興行的にも関連商品の商業的にも失敗するリスクがある。

 実際に、『フォースの覚醒』公開前夜においても、レイがジェダイとなるべくヒロインであることはかなり戦略的に隠されていた。予告編にはフィンがライトセーバーを握る映像しか流れず、ポスターではレイはライトセーバーでなく杖を握っており、多くの玩具ではレイは劇中でわずかに使っていただけのブラスターを持ったパッケージのものが出回っていたのだ。

 映画公開前の特報では、唯一フォースの使い手として登場するのはカイロ・レンのみだった。最初の特報1、特報2でライトセーバーを握って登場していたのはカイロ・レンのみで、予告編では、ようやく青いライトセーバーが登場したが、それを映像で起動していたのはフィンだったのだ!レイについてはその正体について徹底的に伏せられていて、レイがフォースの使い手であり、新しいジェダイ候補であるというヒントすらも与えなかった。

 また『ジェダイの帰還』に登場したルークの『フォースは私の一族と共に強く流れている。父がそうであり、私がそうであり、妹にも。そしてお前にも・・・」という台詞は誰に向けられたものかはあいまいとされ、ファンの間でも、レイなのか?カイロ・レンなのでは?という憶測が流れた。

 この戦略は一貫していて、私はカイロ・レンがある種レイのネタバレ防止のカモフラージュとして広報で利用されていたのではと考える。

 レイがライトセーバーを握ったパッケージや写真は、公開直前まで徹底的に隠されていた。これは、ルーカスフィルムのライセンシング部門のトップであるポール・サザンも発言していて認めている。彼らはライトセーバーを持ったレイは映画公開後まで伏せておきたかったこと」だといっている。

 その後、玩具の売り上げを見たディズニーおよびルーカスフィルムは、レイのキャラクターの影響を当初過小評価していたことを認めている。需要が供給を上回ってその人気の高さに気が付いたのだ。逆に言えば、それだけレイの人気については、慎重かつ懐疑的とまで行かなくとも懸念をもっていたということだ。結果的に、レイの人気の強さは見事に期待を裏切ってくれたことになったのである。 

 公開直前まで、フィンがジェダイなのでは?とかなぜフィンがライトセーバーを握っているのか?という話題があがっていたことを考えると、ファンはディズニーの手のひらで踊らされていたのである。じつに巧妙だ。

 そんなディズニーが新三部作を製作するにあたって、物語の主軸をどうするかにあたって当然マーケティング上の様々な考慮があったことは明確である。 

レイの両親は高リスク要素

 このように、マーケティング上のリスクヘッジという点から考えれば、製作側がいきなりレイをオビワンやパルパティーンの孫娘、あるいはスノークの娘などに設定した上で物語を構築するようなリスクは侵さないのは明白なのだ。それは、例えば、レイがアナキンの生まれ変わりであるとか、スノークがレイの父親であるといった設定でも同じである。フォースの概念をいたずらにいじれば、それこそファンは二分するリスクが高い。

 現に、『ファントム・メナス』で言及されたミディ・クロリアンについても公開当時から、フォースの神秘性に科学的説明を入れたことを受け入れられなかったファンが多かった。その結果、『フォースの覚醒』では再び『新たなる希望』で描かれたようなフォースの神秘性をリブートさせる演出、シナリオにしている。

 したがって、ディズニーとルーカスフィルムが考えるマーケティング戦略としても、「レイ=スカイウォーカーの娘」として新三部作の物語を構築することが最も自然である。

    そして、今のところ、彼らの戦略は功を奏していて、レイのキャラクターは凄まじい人気を博し、ファンを虜にし、『フォースの覚醒』は映画として商業的成功をおさめている

 

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レイ=ルークの娘は最終解ではない?

巧妙に隠された数々の伏線の謎

 しかし、物事を複雑に見せているのは、実は製作側はレイの両親について「レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘」という筋書きは用意したものの、製作時にあたっては、ある種のリスク対策を講じたのではないかということだ。

 実際、不思議なのは、『フォースの覚醒』を観れば十中八九「レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘」という感想を抱くのだが、一方でオビワン・ケノービが「レイ・・」と呼びかける声の演出や、ハン・ソロとレイ、レイアとレイの関係に思わせぶりな特別な演出を入れている部分がひっかかることである。そのために、レイの正体について、かくも様々な説が飛び交う世論ができているのだ。

 その点に関しても、私はディズニーのマーケティング戦略が働いていると考えている。つまり、一つの筋が通るバックグランドストーリとして、「レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘」という物語を用意はした。しかし、その一方で、製作側は後から設定が都合よくかつ矛盾なく変更できる余地をある程度残したのではないかということだ。

 製作側の立場にたてば、これは実に自然で妥当な判断である。なぜならスター・ウォーズ程の映画になれば、映画の成功とマーケティングはもちろん無視できず、下手な物語を作れば、一気にファンが離れてしまうリスクを常に抱えているからだ。

 レイがルークの娘というのは、往年のファン、多数派のファンからは自然に受け入れやすい反面、一番わかりやすいプロットであるがゆえに、新三部作が旧三部作と全く同じ構成となれば、結局「スター・ウォーズ」は旧三部作の二番煎じである、との非難を浴びる。実際、『フォースの覚醒』に批判的だった人たちの大半の意見は、「結局、旧作の焼き増しではないか!」というものだった。

 もっと怖いのは、結局この謎が最初からあからさまになってしまえば、ファンは興覚めしてしまい、一番最初の物語であるエピソード7では成功しても、エピソード8以降の観客を逃してしまうリスクがあるのだ。

 そのリスク回避のために、ディズニーはどうするだろうか?それは、製作側の意図が「レイ=ルークの娘」にあったとしたとしても、それを明らかな形で示すことは極力物語の最後の最後まで伏せることである。すなわち、製作側としては、何が何でも「レイの両親って誰?」という話題でエピソード8の公開までの2年間、あるいは最終章のエピソード9まで、ファンが興味をつなぎとめてくれるように仕向けることである。

ジャクーでなければならなかった理由

 こう考えると、なぜ新三部作で、わざわざタトゥイーンに代わって、新しい砂漠の惑星ジャクーが登場しなければならなかったかがわかる。新三部作でディズニーは、これまでのスター・ウォーズ・ファン以外の潜在的な顧客を確保したいと考えていたのは明白であり、そのために、例えば、タイトルでもこれまでの6作品で行っていたエピソード〇〇という副題を入れずに『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』としたのだ。

 登場する惑星も、旧三部作のものではなく、まったく新しいものを登場させて、過去作品を知らない人でも見られるものにしている。だからこそ、レイがいた砂漠の惑星はタトゥイーンでなくジャクーとする必要があった。

 そして何よりも大きな理由は以下だ。もしあの惑星がタトゥイーンであったら、過去作を観てきた観客はどう思うだろうか?「ああ、レイもアナキン、ルークと同じタトゥイーン出身なのね、結局、レイもスカイウォーカーでルークの娘なのだろう・・旧作と同じじゃん」となるに決まっているのだ。

 もし、レイがタトゥイーン出身だったら、「レイ=スカイウォーカーの娘」説の信者はより増えていたと思うし、彼らはより自分たちの説に確信を得ていたに違いない。

 「レイ=ルークの娘」は、明らかな形で示すことは避けたい。物語の最後の最後まで伏せたい。だからわざわざ創造主たるディズニーは、ジャクーという新しい砂漠の惑星を天地創造したのである。

 人間は、90%真実だと思っていても100%の証拠をつかんでいない状態が、一番好奇心を刺激されるのである。100%事の真相がわかってしまえばそれきりで、謎でも何でもない。逆にまったくあり得ない話には飛びつかない。90%真実だと思っていても確信ができないから、より熱心に証拠集めをするのである。

 だからこそ、『フォースの覚醒』では90%「レイはルークの娘か?」という状況証拠だけだしておいても、決定的な証拠は示さない

 さらに、『フォースの覚醒』以後の物語にも、変更可能な柔軟性を持たせるために、「レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘」という筋書きを通しながらも、それが破綻した時の保険としての様々な伏線を仕込んでいたのではないか。仮に物語の構成が変わってもある程度までは言い逃れができるようにしておいた、ということだ。

 実際、我々は『フォースの覚醒』から2年間『最後のジェダイ』に至るまで、この話題に振り回され、このような議論がブログやあらゆるインターネット上で大いに議論されている現実を考えると、ディズニーの術中にまんまとはまっているともいえるのである・・。もちろん、このブログも例外ではない笑。

 ディズニーの戦略があたり、『フォースの覚醒』が大ヒットし、レイのキャラクターは多くのファンを魅了した。このような状況になったからには、私はディズニーは当初の路線である「レイ=ルーク・スカイウォーカーの娘」のプロットを引き継ぐであろうと思っている。なぜなら、レイ人気が沸騰した今、逆にレイ以外のキャラクターを主人公として物語を作る方がリスクになるからである。例えば、実はカイロ・レンこそがスカイウォーカーの次世代の主人公でした、とかレイが暗黒面に落ちるというプロットなどは、ファンにとっては賛否両論であり、ディズニーからするとかなり慎重に吟味するに違いないのだ。

レイの両親はまだ変わる可能性も!?

 物語というものは、最初から全体像が出来上がって作られるものではない。

 旧三部作を思い出して欲しいのだが、ダース・ヴェイダーも最初からルークの父親として設定されていたわけではないし、レイアがルークの妹になったのは『ジェダイの帰還』の製作中なのだ!

 だから『新たなる希望』でオビワンがルークに語る「ヴェイダーがお前の父を殺した」発言は、その時のことだけを考えれば嘘ではない。結果的にヴェイダーがルークの父親とされたために、オビワンは『ジェダイの帰還』で「わしはウソは言っとらん!」「そんなん見方の問題や!」と、かなり苦しい言い訳と開き直りをせざるを得なくなったわけだ。(このルーカスの今世紀映画史上最大のひらめき(笑)によって、オビワンはウソつきよばわりされることになるのだから、実に可愛そうな老人である・・)

 それに『帝国の逆襲』では、オビワンが「彼が最後の希望であったが」というのに対して、ヨーダが「いや、もう一人おる」と返す。ルークの妹レイアに関する見事な伏線かと思われるのだが、実はこの段階ではレイアはルークの兄妹あるいは姉弟という設定はなかった。だから冒頭のホスのシーンのルークとレイアのキスシーンは、一歩間違えると危ない兄と妹の禁断のキスになってしまっているのだ。 

まとめ

 以上のように、私はレイはまず第一にルーク・スカイウォーカーの娘であると考えている。レイは新三部作において登場した新たなヒロインであり、多くの人を魅了した。新三部作は華麗なスタートをきったわけだが、逆にいえばこのヒロインのキャラクターを今後どのように続編の中で描いていくかによっては、せっかく虜にしたファンを二分することにもなりかねない。

 そのようなリスクのある中で、レイの両親をスカイウォーカー以外に設定して物語を進めるリスクはとらないだろう。そして、今後の物語を展開していくなかで、どこまでこの初期設定を保持していくかは、おそらく製作側も頭を悩ませていると思われ、続編『最後のジェダイ』の中でも「レイが〇〇の娘である」という直接的なカミングアウトは出ずに、最後の最後すなわちエピソード9まで伏せたままになるのではないだろうか。(『最後のジェダイ』に関していえば、もう製作は終了しており、『フォースの覚醒』の路線を引き継いでいるのか、そうでないのかは決定しているが)

 デイジー・リドリーが言うように、世界中のファンがレイの両親の話題で盛り上がっているのは(『フォースの覚醒』で答えははっきりしていると考えている)彼女からしたら面白いことかもしれない。 ここは彼女の言う通り「落ち着いて、そのうち分かる」のを待つべきかもしれません。

 惑星アク=トゥーにいるレイ、そしてレイを好演してくれたデイジー・リドリーに。フォースと共にあれ!

 

<<2017年10月31日追記>> 10/30に公開されたデイジー・リドリーのヤフー・ジャパンとのインタビュー記事で『最後のジェダイ』で答えが明らかになる瞬間があることを発言しました。これによりどんな形かわかりませんが少なくともあと2年間を宙ぶらりんな気持ちで過ごすことはなさそうです。

   

基本情報:『スター・ウォーズ/フォースの覚醒

[作品データ]
原題:STAR WARS: The Force Awakens
製作年:2015年
製作国:アメリ
製作会社:ルーカス・フィルム、バッド・ロボット・プロダクションズ
配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ
上映時間:136分

[スタッフ]
監督:J・J・エイブラムス
脚本:ローレンス・カスダンJ・J・エイブラムスマイケル・アーント
製作:キャスリーン・ケネディJ・J・エイブラムス、ブライアン・バーク

[キャスト]
ハリソン・フォード
キャリー・フィッシャー
デイジー・リドリー
ジョン・ボイエガ
アダム・ドライバー
オスカー・アイザック ほか

 

スター・ウォーズ/フォースの覚醒』をもう一度みよう!