StarWalker’s diary

映画スター・ウォーズに関する独自の考察、謎解き、分析、最新作のストーリー予想、最新情報を発信するブログ

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』はなぜ駄作なのか?私の率直な感想【ネタバレ】

  スター・ウォーズ映画最新作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が遂に12/15に公開されました。直前の前評判では大絶賛、予告編を見ていて最大までに高まった期待感をもって鑑賞してきましたが・・正直、残念ながら・・初見では、この作品にはかなり失望しました。

 持っていきたい方向性は理解できるし、それには反対しないのだけども、さすがにスター・ウォーズ映画として守るべき大切にすべきものをファンを逆なでするような形で破棄してしまった点で評価できなかったのです。

 

《『最後のジェダイ』のネタバレを含みます。未鑑賞の方は読まないでくださいね》 

 

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はじめに

 最初に誤解ないように断っておきたいのですが、私はライアン・ジョンソン監督の生み出したスター・ウォーズの革新性はある点で大変面白いと思っています。これまでの単純な勧善懲悪でない新しいスター・ウォーズの方向性をよく作り上げたと思うし、その作家性はすごいと思っています。

 この評価したい部分については、以下の記事にまとめましたが、この記事では、あくまでも素直に「一人のスター・ウォーズ・ファンとして」の初見での正直な感想だけを率直に書きました。

 

  実は、今回、自分の『最後のジェダイ』評を冷静に考えるために、今のところ3回鑑賞してきましたが、やはり複雑な心境は残ったままでした。そんなこんなで、公開から記事の投稿に1週間以上かかってしまい、また、冷静さを心掛けながら、文章が感情的になっているとこもあると思いますが、その点悪しからずご容赦頂ければ幸いです。 

これはスター・ウォーズだったのか?

 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は1本の映画として単に楽しむのであれば、それなりに楽しい映画だと思う。しかし、問題はスター・ウォーズ映画として見ると、これまでのスター・ウォーズの世界観や一貫性を崩してしまっている描写が多く、全体的にスター・ウォーズらしくないのだ。

 特に、一番議論を呼んだ空飛ぶレイア、全体に散らばるマーベル的なギャグ要素、そしてこれまでのスター・ウォーズ映画で出来上がっていた設定との不整合、一貫性のなさはこの映画の評価を下げてしまったと思う。

フォースはそうやって使うものじゃない!- That's Not How the Force Works ! 

  映画を鑑賞して劇場を出たとき、真っ先に叫びたかった言葉がこれだ。レイアの空中飛行はいったん何だったのだ・・・スーパーマンかメリーポピンズではあるまいし。

 フォースはもはや神秘的な力でなく、ただのチート能力まで成り下がってしまったのか?フォースは神秘的な力だが、超能力ではない。ある意味で、これまでのスター・ウォーズには、フォースでできること、できないことのある種暗黙のバランスがあって、それがフォースの神秘性を維持していた。

 例えば、フォースでスーパーマンのように目からビーム光線が出せるとか、瞬間移動ができるとか、そういうことを描いたとしたら多くのスター・ウォーズ・ファンは反発するだろう。なぜなら、それは結局フォースがただの超能力に成り下がってしまい、フォースの謎めいた神秘性が失われてしまい、スター・ウォーズの世界観を壊してしまうからだ。

 この神秘だけどただの超万能な超能力でないバランスが、少年少女たちに、「僕もフォースが使えるかもしれない」という不思議な気持ちを抱かせ、スター・ウォーズを特別なものにしていたのだ。

 下手なSF的な説明や、このバランスを外したフォース能力は、この思いを壊してしまう。ファンが反発する心理の一つがここにあると思うのだ。

 小さいころ、自動ドアの前で手を動かして「フォース」を試した経験のある人は多いと思うが(もしかしたら、私だけか?笑)、それはこのフォースという力がファンを引き付けるきちんとした理由があるからだ。

 そして、今回は、そのバランス(ファンがこれまで持っていたコンフォートゾーン)を一歩どころか大きく踏み外してしまったのだ。

 そもそも普通に考えてあの状態で帰還するのは、ルーク並みにフォースを使いこなせないと不可能に近いと思うのだが、それをレイアがいきなり使ってしまうのは、唐突感極まりない。また、アイデアも単純で安っぽい。

 そもそも、レイアはあくまでレジスタンス、反乱軍の将軍であって、確かにフォースとスカイウォーカーの血を引いているが訓練されていない立ち位置があっているし、レイアのフォース能力としては、前作でハンの死を感じたくらいの描写が一番ふさわしいし、何よりそれがキャラクターの設定としても一番自然だっただろう。

 さらにバックで流れるレイアのテーマ曲もマッチせず感動できなかったし、更に言えばこの描写は物語上まったく必要ないではないか!

 単にレイアが昏睡してホルドー中将を登場させたいのであれば、何もレイアを宇宙空間に放り出して帰還させなくてもよい。この部分がまったくもって不要なのだ。(後述するように、そもそも脚本上、ホルドー中将の存在意義もあったのか疑問だ)

 レイアは死亡したと思わせて・・まさかの・・という展開にしたかったというだけなのが透けて見えてしまう。。不要なサプライズのために用意したものが完全にしらけている。ハンも天国でレイアに叫んでいるのではないか・・「フォースはそうやって使うもんじゃない!」と。

    『最後のジェダイ』は惑星ディカーからの撤退の興奮から始まった…オープニングから基地の場面、地上から見上げる超空間から出てくるスター・デストロイヤーとかなり期待を持って見始めたのだが、この映画は、空飛ぶレイアが登場した瞬間から下降線を一気に落ちて行くのだ… 

嫌な予感がする - I've Got a Bad Feeling About This・・

 ファジアーにのってフィンとローズが脱出を図る。一斉に駆け出すファジアーがカジノの賭博場に現れる。ここで甲高いわめき声を上げていた女性エイリアン登場・・・これに限らず、この映画は過剰な笑えないユーモア演出が邪魔に目についてしまい興醒めしてしまう。

 レイが振り回したライトセーバーが岩を割くが、その直後に登場するケアテイカーも、同じように、映画の緊張をそいでしまい、逆効果に機能してしまっていたと思う。

    ユーモアはあっていいが過剰なのだ。もっと言えば、スター・ウォーズにこのようなギャグは無くて良いのだ。いや、ないことがスター・ウォーズの世界観を維持できるし、これまでのスター・ウォーズは基本的にシリアスな物語だ。唯一、ハン・ソロのようなウィットは素晴らしくキャラクターとマッチしてチャーミングに機能していた。

 このように、スター・ウォーズは大人でも楽しめるウィットに富んだジョークやユーモアがあったはずなのに、今回はユーモアと言えない寒いギャグの連発だ。全体的に、マーベルコミックのノリのギャグがスター・ウォーズには合っていない。(マーベルが悪いと言っているわけではない、マーベルはマーベルで良い。しかし、両者を混合しないでほしい)

 『フォースの覚醒』でせっかくポーやフィンが見せていた素晴らしいユーモアのバランスがことごとく砕けている。 

 活躍しすぎのBB-8は、『クローンの攻撃』で空を飛んでしまったR2-Ⅾ2を見た時の「やっちまったか・・」という思い出を蘇らせてしまった。ポーが乗るXウィングの後ろで活躍するBB-8、カント・バイトでのBB-8のコミカルで可愛い姿は好きだが、さすがにAT-STウォーカーを操縦して脱出する場面は面白くない。ドロイドが万能過ぎてなんでも解決してしまうというのは、やりすぎた感が否めない。 

 さらに言えば、熱狂的な旧三部作主義のファンにとっては、これがまた前日譚(プリクエル)三部作や特別編で無駄に追加されたCGエイリアンの笑えないギャグのオンパレードの悪夢を思い出させてしまうので、余計にフラストレーションが溜まってしまうという悪循環・・

 私はプリクエルもそれなりに好きなのだが、何もそこを真似る必要はなかったのでは・・・と思ってしまう。

師が必要だ - You Need a Teacher !

 この映画では結局レイがフォースが強い理由も全く説明されていない。それどころか、今までのスター・ウォーズの物語で語られてきたことと一貫性がなくなってしまっているのだ。

 これまでのスター・ウォーズで描かれてきたのは、どんなにフォース感応性が強いものでも訓練を積まなければフォースを扱えないということだったと思う。アナキンは予言の子として登場したが、フォースが強い彼でも訓練を受けたし、ルークも訓練を受けたのだ。

 しかし、レイに至っては全くそうではない。そして、それに理由があればまだしも、それはまったく何も語られないのだ。

    これについては、次作以降に繰越されただけとも言えなくもないが、少なくとも何かしらの伏線なりヒントがないと説明しなさすぎだろう。アナキンでさえ、きちんと「選ばれし者」であり「フォースから生まれたかもしれない」という話があったのに、レイはそれすらないのだ。

  クリエイターはファンの顔をうかがって作品を作る必要はないし、違うと思う。しかし、これ迄の作品と連続した世界観の一貫性を維持しなければ、そもそも一連の物語群として成立しないではないか。これは何もスター・ウォーズに限ったことではない。

 

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これはエピソード「8」だったはずが・・・

 この映画がダメだと思った理由が、無駄と思われるサイドストーリーが連続してしまい、映画自体のメインストーリーが分かりにくいことだ。話が二転三転、それも単にこっちと見せかけてこっちみたいな安易な話のひっくり返しばかりで、サプライズのためのサプライズでしかなくなっている。物語が全体として全く前に進んでないのだ。結局、これらの紆余曲折はただの紆余曲折であって、メッセージがない無駄なものになってしまっているのだ。

 ポーとホルドーの対立、フィンとローズの物語は結果的に、紆余曲折しただけでまったく新三部作としての物語を前進させるものになっていなかったのが残念だ。

 エピソード8は、レイ三部作の中間作であったはずだ。しかし、完成した映画は、あまりにも前作から分断されてしまっている。というよりも、前作のことは忘れ去られたようにすべてが覆ってしまっているし、前作に残された謎も一切明らかになっておらず、中間の物語として前作と次作の橋渡しとしては不完全な印象だ。

聞きたいことはたくさんあるだろうが・・ - You Must Have a Thousand Questions.

 まず、ホルドーとポーの対立だが、これに至っては全く不要だったではないか!

 ホルドーとの対立とポーのクーデターは完全に無駄なサイドストーリだった。ホルドーは最初からポーと喧嘩腰でなく、作戦説明すればいいことだろ!無理くりにポーの成長を描くためにコインの表と裏をひっくり返しているだけでまったくもって物語上の意味をなさない。

    これも結局、不必要にポーとホルドーの対立と見せかけて・・という紆余曲折を入れたかったためだけの話で筋が通ってないのだ。

 これなら、最初からホルドーなど登場させず、レイア将軍指揮の元、レジスタンスの正規の作戦として、「もはや内部からスノークの宇宙船を破壊するしかない!」という隠密作戦を展開し、実行部隊をポーが指揮をし、タイムリミットが迫る中、フィンとローズが活躍する!という筋書きのほうが話が単純だし、そのほうが、無謀な作戦に希望を託す勇敢で一致団結したレジスタンスの姿となり良かっただろうと思ってしまう。

   ポーとボルドーには聞きたいことが山ほどあるぞ。

意味はあった・・ - Now, It's Worth It.

 また、ポーがフィンとローズと決行した作戦は何だったのだ?結局はフィンとローズが命を懸けた作戦の意味は全く無駄であったというオチではないか。彼らが頑張ってカント・バイトまで行った行為は何だったのか?

    ちなみに、私はカント・バイトのような場所を登場させたこと自体は好きだ。スター・ウォーズ世界のラスベガスというのは今まで思いつかなかったアイデアだし、そういう新しい場所や惑星を登場させることは、とてもいいと思う。また、ローズのようにレジスタンスの整備士という新しいキャラクターが登場したのも良かった。
 しかしながら、結局カイト・バイトでの物語は無駄なものになってしまっており、その意味でも非常に惜しいことをしてしまったと思うし残念だ。

    しかも、そもそもローズは全くもって活躍していないではないか!ファジアー乗って楽しんで、最後は鞍外して、意味はあったって…ローズとフィンの物語の存在に意味はあったのか?

 トラッキングシステム(ちなみに、このトラッキングシステムもスノークの船に仕掛けられているのにスノークが知らないってどういうこと?と、まあいいのだが、そういう細かいことまで気になってしまうほどこの映画は粗が目立ちすぎる・・)破壊工作のために担ぎ出されたメンバだと思ったら、その前に捕まってしまうし、活躍しないまま、最後に、フィンの特攻作戦に横やりを入れて無理やりにも、それっぽいことを言われても、あの展開ではローズのエゴイズムにしか見えなかった。

 フィンとローズがロマンスを発展させる描写もないので、最後に突然のごとくローズがフィンを、愛しているみたいなプチ告白をされても・・・。

 最後にフィンにローズが言う言葉は、台詞としてはいいと思うし、一見説得力もあるのだが、この状況で言われても響かない。というか、愛する人を救うという意味では、自分がフィンの代わりに犠牲になった方が、フィンも含めてレジスタンスを救えたと思うのだが・・

 また、どうも私には冒頭の戦闘もペイジの下りも不要に思えた。ローズの姉という設定で、戦死した英雄として登場するが・・・そもそもあの脚本ではローズのキャラクターの必要性が疑問なのでペイジも登場させる意味がわからなかったのだ。ローズのキャラクターがもっとどうにかなっていれば良かったかもしれないが、むしろペイジの活躍の場面を作らざるを得なくなった分、余計に戦闘シーンが冗長になってしまっているだけのようにも思う。

 これなら、ローズとフィンが互いに任務を遂行する中で、互いのバックグラウンドを少しずつ知っていき、その中で、実はローズの姉が戦いの中で戦死した、という過去が明かされ、フィンは戦うことの意義について考える・・という形で台詞のみで登場させるだけでも良かった気がする。  

お前の考えているようにはいかないぞ! - This Is Not Going to Go the Way You Think ! 

 結局のところ、この映画は、個々のキャラクターの話だけをつなぎ合わせただけで、全体としては次回に向けて物語が全く前に進んでない。2時間半(しかも、スター・ウォーズ史上最長の上映時間である!)の間、理由もなくこっちだと引っ張られただけだ。

    エピソード8を見たというより、スノークとルークの死以外は、エピソード7.5、いや、エピソード7.2くらいで、全体的にスピンオフ作品として他でやってくれてよい内容しかない。特にポーとホルドー、フィンとローズの話はスピンオフのサイドストーリで十分だ。(「ダメロン:叛乱者/スター・ウォーズ・ストーリー」とか「フィン・アンド・ローズ ~コード・ブレイカーを探せ!~」なら、まあいい映画になりそうではないか)

 『最後のジェダイ』は、『フォースの覚醒』で描かれたストーリーの穴を埋め、物語をエピソード9につなげることのはずだ。別に紆余曲折を利かせるのはいい、しかし物語を進めてほしい。この映画は、紆余曲折の挙句もとの場所に戻ってきただけで、筋となる話が全くもってないのだ。

 エピソード9がどうなるかわからないが、はっきりいうと、新三部作が完成した暁にエピソード7と9だけ見ればいい、みたいなことに最悪なりかねないのがとても不安である。

 

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語られなかった謎たち

 紆余曲折の物語の問題は先に挙げたが、この映画では、そもそもこのような紆余曲折のわりには、本来語られるべきと思われるものが、まったく語られていないものが多い。あっさり殺されてしまったスノークは、その正体もろくにわからなかったし、予告編であれだけ強く訴えていた、何故ルークがジェダイは滅ぶべきと考えている理由も、一応それらしい説明はあったが、いまいち納得がいくものでなかった。

己の運命を果たせ!- Fulfill Your Destiny!

  今回、スノークについては全く何も明らかにならないまま終わってしまった

   ライアン・ジョンソン監督が言うように、確かに旧作では銀河皇帝パルパティーンについて、全く語られてなかった。しかし、パルパティーンスノークは全く違う

   まず、皇帝は当初名前しか明かされず、『帝国』で顔と台詞がかろうじて登場し『ジェダイ』で姿が明らかになりクライマックスを迎えたのだ。皇帝のバックグランドは旧三部作でメインではなかったが、徐々に姿は明らかになっていった

    また、そもそも『希望』『帝国』までは、ルークの一番の敵はベイダーであり、『帝国』できちんとベイダーとルークの関係性が明らかになった。あの4単語からなる台詞は、ルークの出自、ベイダーの出自、二人の関係の謎をすべて解いてしまったまさしく映画史に残る強烈な台詞だったのだ。

    旧三部作は、基本的にベイダーとルークの話で、皇帝は過去にアナキンをそそのかしたが、ルークにとっては単に倒すべき敵というだけで充分だったから、皇帝については説明不要で物語が成立していたのである。

    だが、スノークは少し違う。スノークは既に主要な登場人物であり、すでに『フォースの覚醒』でホログラムとはいえ台詞も、登場時間も多く(前作と今作でほぼ変わらないのではないか?)、新三部作のもう一人の主人公であるカイロ・レンと密接に関係性を持った主要人物として登場してしまっている

 そして、何より新三部作の物語の存在を説明する唯一のキャラクターなのだ。新三部作は旧三部作から繋がっている。旧三部作のキャラクターは新三部作に登場するのだから。だから旧と新の間の物語、ファースト・オーダー誕生の要因、ルーク・スカイウォーカーとの関係、そして何よりカイロ・レンとの関係など最低限のことは、語られるべきだったと思う。(カント・バイトとかホルドーの話をする時間があったなら、ここに時間を割いたほうが良かったと思うのだが・・)

    スノークは、彼自身が言った台詞のように、この作品における自分の運命を果たしたのだろうか?

ジェダイは滅びる - It's Time for the Jedi to End.

   この話はルーク・スカイウォーカーの話だ。R2との再会も泣かせてくれたし、ルークが再びレイを訓練することを決意するくだりは感動した。 人生の挫折を味わった伝説の人物、彼の苦悩を描こうとしたのは良かった。そして、ヨーダとルークの登場場面もまあ良かった。
 しかしだ・・結局、予告編でも登場していたルークの台詞「ジェダイが滅びるべき」と彼が考えている理由は、ほとんど語られていないのだ。ルークが自分の過去の過ちに責任を感じているのはわかる、だけどなぜジェダイそのものが滅びるべきと考えているかは、少し突飛している感が否めなかった。
 ルークが惑星アク=トゥーで古代ジェダイの秘密を学び、(例えば、ジェダイとシスはもともと一つで、グレイ・ジェダイこそ真のジェダイだったとか・・なんでもいいのだが)そういった衝撃の事実があればよかった説明がいくのだが。
    結局、ルークがレイに話していることは、アナキンとオビワンのことだけではないか。そのくらいだったら、ルークのジェダイ観は、『ジェダイの帰還』でルークが知ったことから大して変わっていない・・だったら、ルークはジェダイ寺院で何をしていたのか?(まあ、実際ルークはジェダイの古文書も読んでいなかったようなのだが笑・・だが、それは別の問題だ)
 つまるところ、そのロジカルな繋がりが全くないのだ。ルークは古代ジェダイの書を燃やす・・これにも理由がなさすぎないか。そしてヨーダが結局燃やすのだが・・なぜ?それで「ジェダイが滅びる時が来たのですね・・」ってどうなのだろう。ヨーダとルークの再会は涙したけれど・・残念だ。
 ヨーダの、師と弟子に関する台詞もどうもしっくりこない。言葉としてはよい台詞に聞こえるのだが、そもそもレイがルークと師弟関係もないまま、あの台詞を言われても、心の底から感動するかといえば、少し妙な感じだった。言葉に重みを感じることができなかっただけに残念だ。

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登場人物の描き方の問題

  この映画だが、確かに何度も見れば、説明がされていることがきちんと分かることがあるのだが、展開がスピーディーなのと、台詞だけでそれらが済まされているのと、サイドストーリーへの横展開がたくさんありすぎるというのが欠点になってしまい、個々の物語の遷移がわかりづらくなってしまっている

 しかも、そのせいで、この映画は、物語を通して登場人物の行動の動機に一貫性がなく、キャラクターの行動が、紆余曲折の物語のための陳腐な都合のいい動機が積み重なっているに過ぎないように見えてしまい、感情移入がしづらいのだ。

 ルーク、カイロ・レン、レイの主要三人についての物語がメインのはずなのだが、あまりにも説明不足な点が多く、何気なく見ていると話しの展開を追うだけで、感情を揺さぶられにくい

そして、その間には何がある? - And Between It All?

 まず、ルークだ。ルークは、ただあの島にいただけでなく、実はフォースから心を閉ざしているのだが、これは、レイの会話(レイが闇に落ちたときに、ルークに「あなたの姿が見えなかった。あなたはフォースから心を閉ざしていた・・」という台詞)から辛うじてわかる程度だ。

 フォースと隔離されていたために、ルークはハンの死にも気づかなかったことが間接的にここでわかるのだ(ファンの間で、なんでハンの死にルークは気が付かないのだ!という批判もあったが、その説明はこのような形でついており矛盾はない)。

 この映画の中で、ルークは徐々にフォースとの繋がりを取り戻していく。レイが瞑想した岩の上で、今度はルークが瞑想する。そして、レイアとつながるのだが、これはルークがようやくフォースとの繋がりを取り戻した瞬間なのだ。

 また、ヨーダがなんで今頃、あんな突然戻ってくるの?という疑問も解消して、ルークがようやくフォースの意思とつながったためにヨーダが戻ってこれた、ルークにも見えるようになった、ということなのだ。だから、ヨーダがこれまでルークを無視して、戻ってくるのが遅かったわけでなく、ルークがフォースから心を閉ざしていたことが原因なのである。

 だからこそ、最後にルークがあの岩で瞑想してフォースと一体となったところがクライマックスになるのだ。そして、『最後のジェダイ』は、ルークが再びフォースとの結びつきを取り戻す話なのである。(詳細は以下の記事にも書いた)

 

  しかし、このことには初見では気が付かないと思うのだ。

 これは何回も鑑賞してきがつけばいいという細かい話でなく、メインプロットのはずであるルークの話だ。それでもこのような遷移が弱くわかりづらく、台詞だけでつながっているため、頭で考えないとわからず、その間に何があるのかが感情に直接的に伝わってこなくなってしまっている

知っていて隠していた・・言ってみろ - You've Just Hidden It Away. Say It.

   前作から登場のスノーク最高指導者。スノークが殺されたことは衝撃だった。そして、この展開自体は私は良くも悪くもなかったと思う(というのも、この評価は新三部作全体の評価を待たないと何とも言えないと思うからだ)。

 しかしながら、カイロ・レンがスノーク殺害に至るまでの物語の説明がなさすぎだ。また、カイロ・レンがスノーク殺害後にどのように変わったかもわかりにくい

 その結果、スノークの死もまた、ただのサプライズ演出にしか見えないのだ。

 カイロ・レンは何故か急にスノークに反逆して簡単に倒してしまう。一応、冒頭でカイロ・レンとスノークの衝突を描いていて、彼が「より大きな力を求めている」というのが理由なのだろうが、描き方が不十分すぎると思う。カイロ・レンの内面の葛藤をもっと描いたうえでならば、あのシーンは衝撃的なものになったのだろうが、唐突感とストーリ上の都合にしか見えない。 

 しかも、スノークは直前まで強力な暗黒面のフォースの使い手として存在していたのにだ。 スノークのキャラクター描写も前作より増えて、よりスノークについてわかると思っていたのだが、今回はただのパワハラモラハラ上司のごとく登場し、何も語らず殺されただけなのだ。

 さらに言えば、このシーンに結局、レイは必要なかったではないか!カイロが勝手にスノークを殺すのであれば、レイがわざわざカイロのもとに赴いた意味が全くない。

 『ジェダイの復讐』では、皇帝は殺された。しかし、これはルークを助けたいベイダーの転向というクライマックスがあったから3人の関係に必要性があり、話が成立していたのだ。

    カイロ・レンがスノーク打倒のためレイの力が必要で利用した、というのであれば、普通にカイロ・レンがレイと交信しているときに、「ともにスノークを倒そう」と誘うような場面があればよかったし、それならわかるが、それは全く説明されないのだ。

 唯一、エレベータの中での二人の会話がほのめかしているだけだが、この映画の一番の衝撃シーンでこれでは、説明不足で観客には伝わらないのではないか? 

 誰にでも故郷はある- Nobody is From Nowhere

 ルークは帰還(?)し、スノークは倒された。レイの物語は進んではいる。だが、レイはその中で成長しているのか?レイのキャラクターが深まったのか?

 この映画は、主人公であるレイにも感情移入がしにくい。

    レイは、表面的にはいろいろな経験をしているように見えるが、結局のところレイの内面を掘り下げる試練や挫折をそこまで深堀できないまま、終わりまで走ってしまった感が否めない。レイが最初からフォースが強いのは前作でわかりきってるのだから、どう成長していくかが気になるのに、最後でも単にフォースが強い女の子ってだけのままなのだ。

 結局、岩持ち上げられるようになっただけではないか!

 ルークとレイは出会ったが、そこに師弟関係を築きそうで結局は築かないままなので、「レイまで失うのでない」とヨーダにいわれたルークだが、そもそも失うも何も師弟関係までいかないし、じゃあ、ここからレイとルークの本当の意味での師弟関係が生まれていくと思いきやそうならないのだ(エピソード9でどうなるかはわからないが・・・) 

 レイは新三部作の主人公なのに、今回のレイには全くもってヒロインとしての活躍というか成長、キャラクターに深みが増したところがない。新しい経験はいろいろと描かれているのだが、内面の成長の描き方が、無用なサイドストーリーやそのための編集の犠牲になって、印象が薄まってしまい、それがレイ三部作の真ん中の映画としては失敗していると思う。

 レイは自分の居場所を求めてルークのもとに行った。そして、ルークに失望してカイロのもとに行くのだが、この時レイは、「カイロがこの戦いを終わらす最後の希望だ」と言って去る。

 レイがルークのもとに来た理由は、彼女自身が劇中で言っているように、(1)レジスタンスが助けを求めている、というレイアの使い、(2)自分自身の中に覚醒したフォースに対する恐れとそれに対する助け、(3)自分の居場所、平たく言えば自分探しの旅、ということだったはずだ。

 これらの答えがルークでなく、カイロ・レンだ、とレイの気持ちが徐々に変化していき、レンのもとへ去るのだが、その過程の展開の仕方がいまいちだと思うのだ。

 もう少し丁寧に掘り下げることもできたと思うのだが、ルークとレイの関係が深まることのないまま、話が進むためレイの心境の変化や、事実に対する衝撃に対して観客の気持ちが入っていかない。これはルークのキャラクター設定があまりに違和感があるためもあるだろう。

  しかも、それだけでなく、レイはカイロ・レンと対決した後、しばらく登場しないと思ったら、いきなりファルコン号の砲塔からTIE戦闘機を叩いて「これ最高!」って現れる。

    スノークシャトルで逃げたのはいいが、レイはカイロ・レンと対峙して、自分の両親の正体に衝撃をうけ、ルークに見放され、カイロ・レンにも見放されたのだ。このレイの失望と挫折と衝撃はいつの間にか吹っ飛んでしまい、いきなり元気に現れてしまうレイ。

    どんな衝撃の事実があっても、自分は自分なんだという、レイの強さを表す描写なのだろうが、描写にあるだけで観客が納得するように作られていたかというといまいちだと思う。

自分の居場所が必要なの - I Need Someone to Show Me My Place in All This.

 この映画では、新しいレイ、フィン、ポーの三人のそれぞれが関係性を深めていかず、メインキャラクター間の化学反応がないのである。

 ルークとレイは結局、師弟関係を築かないままだし、フィンとローズにもロマンスはなし、フィンとポーの友情も描かれず、これまで定番だったR2とC-3PО、BB-8らドロイド間の友情も全く何もない。

 唯一例外は、カイロとレイで、ここはまあ流石にメインの話であるだけいいのだが、それ以外であったのは、レイアとルーク、ヨーダとルーク、ルークとR2など旧友の再会くらいだ。前作であれだけよい演技をしていたチューバッカも、ルークの小屋の扉を壊して、ポーグを食べて、ファルコン号を操縦しただけだ・・また、フィンのキャラクターもまた、この映画ではまるで何もしていない。結局、ファースト・オーダーの内情に詳しいから潜入役に使われているだけなのだ。

 この点『フォースの覚醒』は違った。『フォースの覚醒』は旧友の同窓会と揶揄されたが、きちんと新しい登場人物が活躍し、相互に関係を築いていく。しかし、この映画はそれがないし、築いた互いの関係が深まっていく要素がないのだ。

 これなら、ローズやホルドーは不要で、主要な登場人物はレイ、ルーク、カイロ・レン、フィン、ポーに絞るべきだったのではないか?この5人だけでもそれぞれの物語を深く展開することはできたはずだ。

 登場人物の相互関係が深まっていかないので、個々のキャラクターのサイドストーリーにおける紆余曲折の展開に驚くだけで終わってしまい、感情移入しないし、まったく感情に訴えるものがない。要所要所では確かにあるのだが、私にとって、唯一感情を揺さぶられたのはルークの登場シーンだけだった。

 それもただのノスタルジア演出によるもので、そのほかは映画を通して感情を揺さぶられることはなく、全体的にフラットな感じなのだ。

それはずるいぞ - That Was a Cheap Move.

 しかも、このノスタルジア演出だが、実はすべて旧三部作のコピぺ的描写でしかないのだ・・レイアのホログラム、帝国の逆襲のパペットのヨーダ、二重太陽、惑星クレイトの洞窟を飛ぶファルコン号まで・・・。

 私が『フォースの覚醒』をいいと思うのは、メインプロットは旧作と同じではあったが、新しいキャラクターの存在が光っていたし、ノスタルジア演出は、コピペでなく、ちゃんとしたオマージュになっていて旧作へのリスペクトが感じられる新しい作品だったからなのだが、今回は音楽も画も旧作と同じでコピペで当てはめただけなのだ。

 『フォースの覚醒』を焼き増しで懐古趣味というが、そういう意味で『フォースの覚醒』は旧作をリスペクトしながら新しい物語になっていたのに対して、今作のノスタルジック演出は本当にただのあからさまなファン・サービスだけになってしまっている。

 私はそういう意味で、この部分に関しては、『最後のジェダイ』のほうが懐古趣味なのではないか思うのだ。これでは、ルークの言った通り、それはずるいぞと言わざるを得ないのではないか? 

 

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伝説はかく語りき・・

 この映画での評価が二分する原因が、伝説のジェダイ騎士、ルーク・スカイウォーカーの扱いだろう。ルーク・スカイウォーカーは当然旧三部作の主人公であって、スター・ウォーズそのものと言っていい。私も、それを文字ってこのブログのタイトルにしているくらいで、やはりルークが一番好きなキャラクターだ。

 この映画でのルークは、旧三部作での彼と全く違い、衝撃的な姿で現れる。この描き方の衝撃があまりに強いため、彼の死とともに受け入れられないファンが多い

 私も個人的に、このルークの変わりようがあまりに彼のキャラクターらしくないので、物語としてどうだったのか、という思いが付いて回っている。

ルーク・スカイウォーカーが必要なの - We Need Luke Skywalker.

  ルークが活躍してくれたことはうれしかった。だが、ークが、眠っている甥をいくらなんでも殺害するとは彼のキャラクター上全く思えない。そもそも、オビワンやヨーダに反対して、あの邪悪なダース・ベイダーを転向させることを最後まで信じていた男とは全く思えないのだ。

 この点、マーク・ハミルライアン・ジョンソンに反対したのはとても理解できる。

 ルークが当初レイを拒み、過去の過ちを引きずった傷ついたヒーローというキャラクター設定というのは、まあ良かったかもしれない。この衝撃的な展開にはきちんとした理由があるのだろうと思ったからで、そのアイデア自体については、当初そこまで私は反発はなかった。

 なぜなら、そんな善良な彼だからこそ、そんなルークだからこそ、そのような自分の一瞬の過った行為に対して後悔と恥と責任を感じて、あの島に閉じこもったのだ、と思うし、彼ももちろん完璧な人間ではない。またルークをヒーローとしてみて育った人たちも大人になり、部下や子供がいて、人生に挫折した経験を持つ人もいるだろう。そのような人たちに対しては、とても深い映画になる可能性があったと思う。

 しかし、2回目、3回目と観て考えていけば考えていくほど、やはりルークのキャラクターは変えなかったほうがいいと思う。

 というのもやはり、今回描かれたレイアとハンの息子であるベン・ソロを寝ている間に殺そうとする彼のこの変わりようは、全くルークのキャラクターの設定としてあまりにかけ離れており不自然さしかないのだ。 

 ちなみに、なぜライアン・ジョンソン監督がルークをあのように描きたかったかに固執したのかは、ストーリーを貫くある鍵があると私はおもっている。が、これは、また別途書こうと思う。(ルークの性格の変化についての考察はこちらに書きました)

 

 

 銀河には伝説が必要よ・・ - The Galaxy May Need a Legend.

 また、ルークの死についてだが、このエピソードでルークが死を迎えることは予期していたし、新しい物語を始めるのにルークの死はどこかで描かなければいけなかったと思う。

 そして、ルーク・スカイウォーカーが、かつて同じく弟子を失ったオビ=ワン・ケノービと別の道を歩んだことも面白い設定だ。オビ=ワン・ケノービは最後のジェダイ騎士として、弟子と対決して死んだ。フォースとともになりルークを見守る。ルークは、オビ=ワンと違って、自分が再び銀河に希望をもたらす伝説になって死んでいく。 

  しかし、最後のカイロとルークの対決が、フォースによる投影だったというのは少し納得できなかった。ルークが大いに活躍してくれて嬉しかったのだが、これなら普通にルークが戻ってきてカイロ・レンと対決するで良かったではないのか?

 確かに、ルークにとって自分の甥で、レイアの息子であるカイロ・レンを直接殺せなかったということはあるのかもしれない。

 だが、ルークはレイアに「彼と対決するために戻った」「救うのは無理だ」と言っているのだ!であれば、何故普通に登場して来て対決しないのだ!

 ルークが惑星アク=トゥーを去れない設定だったから、あのような無理やりな展開にしたのだろうか?あるいは、惑星アク=トゥーの二重太陽を見て死んでいくルークに無理やりしたかったのか?

   どうも、オビワンとベイダーの対決の焼き増しにしたくない、こんなフォースの力があることにしたい、という考えと、実はルークは実体ではありませんでした、というサプライズ演出をしたいがために用意されたとしか思えないのだ。

 また、もっと大きな問題はこれだ。当初、レイやレイアは「彼にはまだ光がある」と言っていたはずだ。だからルークも彼を転向させることも出来たはずだ。だが救うのは無理と判断するのだ。

    理由はきちんとある。カイロ・レンはスノークを殺して、レイやレイアが感じていた光を失い、より悪になった。だから、ルークはカイロ・レンと対決しなければならなくなる。だが、物語の中でカイロが完全に闇に落ちてしまったというのが分かりにく過ぎる。だから、ルークもレイアもカイロを諦めた理由がいまいち分からないのだ。

    この問題は大きい。なぜならルークはベイダーを暗黒面から救った男であるが、その彼が再びカイロに同じことを何故しないのかの説明がつかなくなるからだ。

    つまるところ、このような点が積み重なって、余計にルークのキャラクターの旧作と一貫性のなさに拍車をかけるから、ファンもよく思わないのだ。

 別に、オビワンとベイダーの対決の再現は悪くないし、ストーリー上必要ならば別に懐古主義でない。なのに、その予測を裏切ろうとして下手なストーリーにしてしまったなら、単に脚本を書く力量不足と言わざるを得ないのではないか。 

 ルークの死の描き方がこのようだったために、最後にレイの手元に残った無残にも引きちぎられたルークのライトセーバーに、私は変な虚しさしか残らなかった。 

 別に、スカイウォーカー家の物語でない新しいスター・ウォーズを始めることは私はいいと思っている。しかし、新しい世代の物語は、前世代の物語の上になりたつものだ。意味なくむやみに過去を捨てればよいというものではないはずだ。

   『フォースの覚醒』で描かれたあのライトセーバーは前作から次世代に引き継がれたバトンではなかったのか?

 これも結局、物語の描き方がよくなかったため、『フォースの覚醒』から引き継がれた物語を観客に期待させておいて、あっさりとこれらを雑にゴミ箱に捨て去ったような、悪く言えば無神経さの印象だけが残ってしまった。

 これでは、この映画を好きになれたはずのファンも嫌いになってしまうだろう。

また会おう - See You Around Kid.

  この映画の最後は、伝説となったルークの話をする少年が、宇宙を見上げるシーンで終わりを迎える。

 実は、この映画を見終わったときに、私が一番に感じたことは、妙な既視感だった。その既視感というのは、思えばちょうど一年前に同じような終わり方をした映画を見たなあ・・ということ、すなわち「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」だ。

 絶対的に強い帝国、ファースト・オーダーに対して壊滅寸前の反乱軍、しかし銀河にはまだ希望がある、というラストにしたかったのだろうが、それでは『フォースの覚醒』『ローグ・ワン』と3回続けて同じようなラストを見させられても・・それこそマンネリズムな気がする。

 それどころか、私には、この映画のこの終わり方ではレジスタンスが無責任すぎるように見えてしまった。最後の少年の登場シーンはアイデアとしては良かったと思うが、しかしこの映画に本当に必要だったのか?

    ファルコン号に全キャラクターが集結したカットを、最後に用意してるのだから、ここでエンド・クレジットで良かったと思うのだが。(ただ、それでも納得がいくラストになったかは他の部分の映画の出来がダメすぎるのでわからないが)。    

 例えば、『帝国』は暗い映画だったが、最後は明るくまとまっていた。しかし、その明るさは決して無責任なものではなかった。ルークは父親に手を切られ絶望の淵まで追い込まれ、ハンは冷凍されてジャバのもとへ。主人公たちは絶望のそこでエンディングを迎えたが、それぞれがその運命に立ち向かうという明るさと希望は残っていた。そして反乱軍もまだ健在で、観客もこれならまだ戦えると思うエンディングだったのだ。 

 なぜなら、これまでの作品は、デス・スターでも、第二デス・スターでも、スターキラー基地でも反乱軍、レジスタンスはきちんとした戦略、戦術があって戦っていたのだ。デス・スター戦は特攻や玉砕ではない。相手の弱点をつかみ、唯一の勝機に命を懸けて勝利を収めるという話だ。だから、ただの無責任な自殺作戦では全くないのだ。

 しかし、今回はどうだろう?彼らは勇敢なレジスタンスではなかったのか?それが今作では、残念だがどうも勝手に自滅していくただの人たちにしか見えない。

今日この日、反乱軍は生まれ変わる - The Rebellion is Reborn Today.

 この映画でのファースト・オーダーとレジスタンスの描き方の問題は、レジスタンスがそこまで追い詰められたというような、ダークで悲惨な描写がないのだ。

 今回は、ハックスも冷酷非道な指揮官からコミカルなキャラクターになってしまっているし、唯一絶対悪に近いスノークもあっさり殺され、とってかわるカイロ・レンはまだ子供で、悪に落ちたというより、単にルークを恨んでいるようにしか見えず、ファースト・オーダーの脅威が全く感じられないことなのだ。

 さらに、今回レジスタンスは途中逃げているだけの単調な追跡劇なので、壊滅していくレジスタンスが、ファースト・オーダーの脅威に追い込まれていく感じが全くなく、単に無能な集団にしか見えないのだ。

 そんなレジスタンスは、最後にファルコン号に搭乗したたったあのメンバだけしか生き残っていない。これではレジスタンスは壊滅寸前どころか、すでに壊滅してしまっており、いくらフォースを使える子供が銀河にまだいようと、目の前のファースト・オーダーの脅威に戦うには不十分だとしか感じない・・

 これでは、最後の少年のシーンも、自分たちの世代でいろんなものを破壊しておいて、その希望を次世代に託します、という無責任なメッセージにしか響かなくないだろうか?

 ライアン・ジョンソン監督はメイキング映像で幼い頃にルークの人形で遊んだ思い出を語っていたが、最後の演出に、彼の極めて個人的な幼少期の思い出から、『新たなる希望』のルークが与えた希望を思い出すんだ、というメッセージとして、この最後のシーンをつけたのだろう。   

 レジスタンスの活躍がそれなりだったなら、ルークの最期とフォースを持ち、ルークの伝説に未来を馳せる少年の描写は良かったのだが、私には上手く機能していないように見えてしまい、それだけに希望を持てというメッセージが非常にむなしく悲しく響いてしまう・・・

 ルークに憧れた少年のように誰にでもフォースがある、フォースを信じよう、というメッセージを伝えたいのはわかるのだが、それはレイやルークが大いに活躍してくれることで観客は十分感じることができるはずだ。

 あるいは、少なくとも反乱軍の指輪が不要だったかもしれない。ジェダイ、ルークの伝説と反乱軍は、そもそも別物のはずだからだ。

 例えばだが、仮にこの指輪がなければ、少なくとも私が感じたようなレジスタンスの無責任さ具合と切り離して、ルークが伝説になった最後に感動するシーンになり得たかもしれないと思う。

 

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まとめ 

 この物語は紆余曲折ありきの紆余曲折のオンパレードに仕上がっていて、登場人物たちがその道具として使われているに過ぎない映画の印象なのだ。ローズやホルドーに至っては登場の必要性も疑問だった。

 伝えたいメッセージがあっても脚本がダメなら伝えたいものも伝わらないだろう。また新三部作のミドルムービーとしても成立していない(エピソード9の出来によってはどうなるかまだわからないとこともあるが)。確かにスノークやルークは死んで、物語は進んだように見える。だが彼らの扱いももっとましにできたはずだが、これでは理由もなく死んでいっただけにしか見えないではないか。

 また、全体的に、スター・ウォーズを観た感じがないのだ。どちらかというと、マーベルのSFアクションを見た感覚だ。別にマーベルがダメだと言っているわけではない、マーベルはマーベルで楽しい映画で良いのだ。しかし、スター・ウォーズが持っていたこれらのSFアクションやファンタジーと異なる独特の世界観をぶち壊してしまったのである。

 ライアン・ジョンソンは自分のスター・ウォーズを作ってしまい、新三部作の中間作として不出来な映画を作ってしまった。これは、ライアン・ジョンソン監督の責任というより、プロデューサーも含めて制作側の責任だろうが。

 せっかく前作で、あれだけスター・ウォーズだけが持つ特別なワクワク感を蘇らせてくれたのに、すべてを逆の方向にもっていったあまりにその良さまで犠牲にしてしまった。新三部作の中間映画として、前作をもってもって大きく展開できるところを、無駄にしてしまったように思える。

    しかも、前作の出来がかなり良かっただけ、この映画への期待値が高くなってしまい、さらには公開前の広報戦略の巧みさが加わり、プレミアでの批評家の前評判があって、期待がかなり高くなってしまった。しかし、公開後、期待が高かった分だけバブルが弾けるが如く評価が駄々下がりしたのだ。

    こういう言い方はしたくないが、とても厳しい言い方をすれば、ライアン・ジョンソン監督は、結局みんなが好きなルーク・スカイウォーカーのフィギュアを独り占めして自分の好きなように遊ぶが如く、前作で用意されたキャラクターで色々と遊んだ挙句に、「プロの監督による史上最長のスター・ウォーズ・ファン・メイド映画」を我々に提供してくれた、というのが全体の第一印象だった。

    新しいことをやるのはいいが、スター・ウォーズの世界を壊してしまったらもともこもないではないか。というか、やるならきちんとしたしっかりとしたストーリーを作った上でやってほしい。いろいろ革新的なことをやろうとしたがあまりに、本筋の物語があまりにも見えない脚本になっていると思う。

 初見で見た私の正直な気持ちは、この映画は昏睡したレイアが見ていた夢でしたという夢オチでもいいとすら思ったほどで、あるいは、JJエイブラムスにエピソード8を一から作り直してほしいとも感じたくらいだ。

 とはいえ、やはりファンの悲しい性か、ファンが愛さずしてスター・ウォーズを誰が愛するのか、と思って何度も好きになろうと観に行ってしまう自分がいるのである。だいぶ冷静に見れるようにはなってきたが、まだまだ複雑な心境でいる。

 さて、エピソード9はどうなるのだろうか・・これでかなり最終話のハードルが上がってしまったし、新三部作全体の評価はエピソード9に託されてしまったといっていいだろう。二分したファンの評価は一つにまとまるのか否か・・色々と心配だが、『フォースの覚醒』で一度は覚醒した、新しいスター・ウォーズが、再び覚醒するのを期待して待つことにする。 

 最後に

   以上、色々と書きましたが、私は、それでもライアン・ジョンソン監督は凄い革新的なスター・ウォーズを作ったと思ってます。この映画はいろいろな意味で面白いのですが、これについては、また次回の記事(「『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』はなぜ傑作なのか?」(仮題))で書くこととします。

 なので、今回は暗黒面側から文句を言いたいことは色々ここに書きましたが、次回は私も光明面に転向して、色々とこの映画について引き続き書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します。 

 

※《追記》『最後のジェダイ』の傑作性について考えたことはこちらに書きました。

www.lakestarwalker.com

 

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