StarWalker’s diary

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『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の謎解き~ルークは果たして変わってしまったのか?~【ネタバレ・考察】

 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は劇場公開が終わり、新三部作はすでにエピソード9に向けて動いています。賛否両論のある本作ですが、一番解せないのはルーク・スカイウォーカーに関するキャラクター設定だろう。だが、よくよく見ているうちにルークという人物は、実は『ジェダイの帰還』から変わってないのかもしれないという気もしてくるのだ。

《!『最後のジェダイ』のネタバレを含みます》

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ルークは本当に変わってしまったのか?

 『最後のジェダイ』で描かれた衝撃の事実は、まぎれもなくルーク・スカイウォーカージェダイマスターとしての変わってしまった姿だろう。

 このことについては以前記事を書いたことがある(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の謎解き ~なぜルークはレイの正体に気づかなかったのか?~【ネタバレ・考察】 - StarWalker’s diary)が、今回再びルークの性格の変化について考えてみようと思う。 ルークは闇に落ちたベン・ソロを殺そうとした。

 だが、その過ちに気がついたが時遅く、彼は激しくこの事を後悔した。彼はファーストオーダーからもスノークからもベン・ソロからも逃げて、誰にも見つからないために惑星オクトーに来た。

 これが最後のジェダイで語られた事実だった。だが、これはにわかには受け入れられないことだろう。ルークは、ジェダイの帰還で父親であるアナキン・スカイウォーカー転じてダース・ヴェイダーとなった男の善を最後まで信じて戦った男だ。そんな彼が甥であるベン・ソロを殺そうとするだろうか?

 実際、ルークはベン・ソロを殺さなかったのだ。彼はそれを激しく恥じたわけだが、ベンをあのような形で倒すことは、当然彼の本意ではなかったのだろう。そう考えていくと、実はやはり彼はルークであり、彼の性格は変わっていなかったのではないか?とも思えるのだ。

    彼は変わったと考えるのは、語られた事象だけをみた考えであり、あくまでルークという人間の根底にあったものは変わっていなかったとして、『最後のジェダイ』のルークを考えてみたい。

伝統派ジェダイのシス観

    思い出せば、オビワンやヨーダは、実の息子のルークに対して父親を倒せ!としか言ってなかった。だいたい彼らはヴェイダーが彼の父であることすら最後の最後まで隠しながら、ヴェイダーを倒すのだ、と言っていたのだ。そして、「ルークは実の父親を殺せません」というルークに対して、オビワンとヨーダ聞く耳を持たなかった。彼らは「なら皇帝の勝ちだ」としか言わなかったのだ。

 

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    守旧派ジェダイ(?)の教義からしたら、暗黒面は許さないのが正しく、ベン・ソロもルークの甥だろが関係なく落第生であれば倒すべき対象になるというだけだ。

 ベン・ソロが暗黒面に支配されたことを知ったとき、オビワンやヨーダがいたら、彼らはルークに対して、こう言ったのではないか?

ヨ・お前の弟子は暗黒面に堕ちてしまった。
オ・倒すのだ、あの若きベン・ソロを。
ル・実の甥を殺せません!
ヨ・ならばスノークの勝ちだ。
オ・ヨーダの言う通りにするのだ、ルーク。

   こういうやり取りが実際にあった可能性は高い。そうなるとこれは『ジェダイの帰還』の時と同じだ。

 だが、あの時とは1つ違うことがある。あの時は若かったルーク・スカイウォーカーは今は銀河で唯一無二のジェダイマスターになってしまっているということだ。

 若い頃、自分の父親の善を信じてオビワンやヨーダに反抗したルークからは大人になっている。また、それだけでなく、フォースとジェダイについてもかなり多くを学んだのだろう。

   だが、そこで学んだ守旧派ジェダイジェダイが信奉するフォースの価値観が暗黒面に堕ちたものへの救いを与えないものだったとしたらどうだろう。

   『ジェダイの帰還』の時は、銀河は暗黒時代であり、ルークは一人の息子としてただ父親と向かい合えばよかった。だが、今回、ルークは新ジェダイと新共和国という秩序を維持すべき立場に変わっている。『最後のジェダイ』では、ついつい、ルークとベンの関係に目がいってしまいがちだが、ベンが甥とはいえ、ルークには他の弟子が11人もいるのである。

 

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マスターとしての苦悩

  ベン・ソロが暗黒面に堕ちたら彼の愛弟子達もまたアナキンに殺されたジェダイ達のように犠牲にならないとも限らない。ルークは他の弟子も同様に愛していたはずだ。ルークは悩んだのではないだろうか?もしかしたら自分の中にある守旧派ジェダイに染まった自分と、かつて父を救った本来の自分の間で葛藤していたかもしれない。

He would bring destruction, and pain, and death, and the end of everything I love because of what he will become.

彼は破滅と苦痛と死、そして彼が変わるもののために私が愛する全てに終わりをもたらす。

    アナキンは最後に転向したが、暗黒面に堕ちて多く罪を犯したこともまた事実だ。あの夜、ルークはついに自分でベン・ソロの中に広がる闇を見てしまった。そして、ルーク自身が言うようにそれはルークの想像を遥かに超えていたのではないか。

I saw darkness. I'd sensed it building in him. I'd seen it in moments during his training. But then I looked inside, and it was beyond what I ever imagined.

闇を見た。彼の中に育っていく闇を感じた。訓練の時にそれを見たが、彼の内面は私が想像した以上だった。

   この時、ルークは甥を殺すことは考えていなかったのではないかと思う。 だが束の間の一瞬、ルークは自分はジェダイ・マスターとして正しいことをしなければと考えた。マスターとして他の弟子のことも頭をよぎったかもしれない。

And for the briefest moment of pure instinct, I thought I could stop it. It passed like a fleeting shadow.

そして一瞬の間、直感が告げた。今なら止められる。儚い瞬間の影のようだった。

    彼の直感がそう告げた、というのは、あるいはフォースの意思がベン・ソロを破壊することを、彼に囁いたのかもしれない。だが、彼はやはり殺せなかったのだ。つまり、彼の本心は、守旧派ジェダイ観には反対だったのである。だから、ルーク・スカイウォーカー自身は変わっていない。「実の父を殺せない」といったルークはそのままのルークだったと思うのだ。 

削除シーンが語るルークのジェダイ

   最後のジェダイの削除シーンの1つに、ルークが言った3つ目のレッスンのシーンがある。

   レイがケアテイカーの村に向かう船団を見つける。ルークはレイに、彼らはケアテイカーの村を襲う盗賊団だと言う。レイは彼らを助けないととならないと言い、ライトセーバーをもち彼らのもとへ向かおうとするのだがルークは次のように言って静観することが正しいと言うのだ。

彼らを助ければ、次の月には彼らは再び大勢を率いて戻ってくる。ジェダイはただバランスを維持するために行動するだけだ。

  レイはこれに反発して、ケアテイカーを助けに向かう。だが、ケアテイカー達はパーティーをしていただけであった。ルークはレイにこう告げ、それを伝えたかったというのだ。

助けは行動することから生まれるのだ。古い宗教の謎からではない。

   しかし、ルークのこのやり方はレイには受け入れられないものだった。レイはこれかきっかけになり後のルークとレイの決別に繋がってしまう。このシーンにおけるルークの描かれ方にはまた批判もあるに違いない。だが、その点を除いて『最後のジェダイ』でルークがいう3つのレッスンを見てみると、ルークは徹底してジェダイ否定をしているのだが、一方でフォースを崇拝しているし、レイの行動を認めている点では一貫している。

   つまり、ルークがいう「ジェダイはバランスを維持するためだけに行動する」というのは守旧派ジェダイの教義だ。だが、レイはこれに反対しケアテイカーを助けるために行動する。

    ここで、ルークが否定しているのは守旧派ジェダイの教義であり、ルークが滅びるべきと考えているのはこの守旧派ジェダイの教えと考え方が傲慢で捻くれていると考えているからだ。そして、「誰かを助けるために教義などに構わず行動を起こす」ということは、ルーク自身が『ジェダイの帰還』でとった行動そのものなのだ。

   彼は、自分の父親や甥に対しても救いを与えない守旧派ジェダイの教義が納得いかず、それに染まって過ちを犯した自分も許せなくなったのではないか?

   また、甥や父親を殺せというのが、真にフォースにバランスをもたらすことなのか?とフォースの意思自体に疑問も持つだろう。

   だから、フォースからも身を閉ざした。実の甥を殺さなければならないのが本当にフォースの光明面の意思であり、あの晩、ルークにそう囁いたのなら、彼のフォースへの信仰は激しく揺れただろう。あるいは、ヨーダがいちいち霊体で現れ、「甥を殺せ」とか「彼の暗黒面は強い」とか朝から晩までちくちくと言われ、さらにヨーダイエスマンであるオビワンにも「ヨーダのいう通りじゃ」などと言われ続けたら…私だったらうるさいから黙っててくれ!とフォースから身を閉ざし引きこもるだろう笑。

 

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最初から守旧派否定のルーク

   『ジェダイの帰還』で修行を終えるためダゴバに戻ったルークは、ヨーダの臨終を看取ることになる。ヨーダは死の直前にルークに教えることはないと告げる。ルークはヨーダにこう聞く。

ル・では、僕はジェダイですか?

ヨ・いや、まだだ。ヴェイダーとの対決が残っておる。奴を倒した時こそジェダイだ。

    ここからわかるように、オビワンやヨーダ守旧派にとっては、彼が父を殺すことはジェダイとなるための彼に与えられた最後の試練だったわけだ。

   『ジェダイの帰還』で、ルークはダース・ヴェイダーとの闘いを拒否していたが、レイアのことを話された彼は遂に怒りにのまれ、ヴェイダーを倒す直前までいった。だが、ルークはやはり直前でヴェイダーと闘うことを拒否してこう宣言する。

僕はジェダイだ。かつて父がそうだったように。

   ヨーダの言葉では、ヴェイダーを倒すことはジェダイになる必要条件なのだった。だから、ここでルークが自分を指していうジェダイは、ヨーダやオビワンの言った守旧派ジェダイのことではない

   「ヴェイダーを倒した時こそルークはジェダイだ」と言っていたヨーダやオビワンの解釈を当てはめたら、この条件を満たしていないルークはジェダイなり得ない。

    だが、ルークはヴェイダーと闘わないことで、自分はジェダイだと独立宣言をするのだ。つまり、こうみれば、ルークは最初からヨーダやオビワンのいう「シスダメ絶対」主義の守旧派ジェダイの価値観を否定しているシン・ジェダイなのである。

   したがって、彼がジェダイマスターになっても、彼自身は守旧派ジェダイとは違い、最初からその意味では変わっているのだ。

   だから、彼が『最後のジェダイ』でジェダイを否定するのは、実は『ジェダイの帰還』でヴェイダーとの闘いを拒否したことと根本的には同じだ。

    そして、レイの行動を認めているのは、守旧派ジェダイの否定であり、ルークが昔信じた自らの行動をまだ信じているからである。だから、ルークはもはや守旧派ジェダイの思想に染まってしまった自分や古い宗教の教義は必要ないとレイに説きたかったのではないだろか?

私は最後のジェダイではない

    そして、ルークはこれを最後まで貫く。なぜならカイロ・レンに救いの道を残して去るからだ。オビワンは、ダース・ヴェイダージェダイ狩りの後、隠遁していたが『新たなる希望』で再びダース・ヴェイダーと対決した。そして、彼は自らフォースと一緒になる。

   これは『最後のジェダイ』のルークがしたことと表面的には似てるようたが、その意味と目的は全く違う。なぜなら、オビワンは最後までダース・ヴェイダーを倒すことを考えていたからだ。だが、ルークは最初からカイロ・レンを倒すことはしなかった。しかし、同時に彼はカイロ・レンを救うのも無理だとも思っていたはずだ。

   だから、ルークはレイとレジスタンス、希望の光を絶やさないために彼らを生き延びさせるためにカイロの前に立つ。そして、ルークは最後にこう言う。

私は最後のジェダイではない。

   この台詞でルークがいう「最後のジェダイ」とは、ルークが滅びるべきと考えていた守旧派ジェダイのことではない。ここでいうジェダイとは、ルークが『ジェダイの帰還』で自らを指して呼んだ「シン・ジェダイ」のことだ。

   『ジェダイの帰還』は、アナキン三部作が出来てから、暗黒面に落ちたアナキンが帰還し、皇帝を倒したことを指しているという解釈が広まっているようだが、当然ながらジェダイの帰還』で帰還したジェダイとはルークでもある。

    ルークはまさしく真のそして新のシン・ジェダイというべきであり、ジェダイの帰還』はシン・ジェダイの帰還だった。そして『最後のジェダイ』は、最後のシン・ジェダイの物語なのだ。そしてルークは、今こそレイがかつて自分がヴェイダーを救済したと同じ「最後のシン・ジェダイ」であると言って去る。

   『最後のジェダイ』 でルークの物語は終わった。ジェダイの帰還』で帰還したシン・ジェダイことルークは『最後のジェダイ』で再びシン・ジェダイとなって再び帰還したのだ。その意味で『最後のジェダイ』は『ジェダイの帰還』と対をなす物語と言える。まさしく『最後のジェダイ』は『シン・ジェダイの帰還』なのである。

まとめ

    ライアン・ジョンソン監督もルークの描き方をもう少し考えれば、より受け入れられる物語になった可能性もあるのだが、どうも彼のルークの描き方が下手なので悪意があるように見えてしまうのか、そのあたりはよく分からない。ライアン・ジョンソン監督の力量の限界という可能性もあるだろう。

   私は、そもそもこの3つ目のレッスンはまだ残しておいた方が「1つの映画としては」良かったと思う。ルークの描き方に賛否がより分かれただろうことは想像がつくが、物語としてきちんと成立するし、ルークがレイに伝えたいメッセージもはっきりして、二人の決別の理由も明確になりはしないだろか?

    ライアン・ジョンソンは削除した理由を、ルークの性格があり得なさすぎると考えたかららしいが、そもそも最後のジェダイで描かれたルーク像そのものがあり得ないと感じるものなのだから、今更何をという気がするのだ。

    要するに、このあたりは中途半端で徹しきれてない。そして、あり得なさすぎると彼が感じたのなら、それは脚本とキャラクターの描き方がやはり問題だったからだ。だが、映画をよく見ていきながら考えると、ライアン・ジョンソン監督が描きたかったルークは、あるいはこういうことだったのでは?とも思えるのである。