StarWalker’s diary

映画スター・ウォーズに関する独自の考察、謎解き、分析、最新作のストーリー予想、最新情報を発信するブログ

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』に足りなかったものとSW映画の今後の課題~【ネタバレ・感想】

 スター・ウォーズ映画最新作『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』が遂に6月29日に公開されました。今回(だいぶ公開から時間が過ぎてますが・・・読者の皆様ごめんなさい)遂に感想を書いてみようと思います。ちなみに映画は3回鑑賞してきました。色々時間がうまく作れなかったこともあって、間が空きましたが正直なところを率直に書こうと思います。

《映画『ハン・ソロ』に関するネタバレを含みます》

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戻ってきたスター・ウォーズ

   本作を観て、まず一番の感想は、久しぶりにスター・ウォーズを見れたという満足感と安堵感だ。

   思えば、あれだけ前評判が良く、連日新しい予告編がテレビで流れて、本人の意思とは無関係に期待値を上げられた『最後のジェダイ』が、冒頭の戦闘シーン以降、どんどん胸の中に広がる違和感を抱えながら最後まで見なければならなくなったあの不安は、今回は全く心配なかった。

   冒頭、惑星コレリアから脱出を図るハンとキーラの逃避行の物語は、テンポも良くスリリングだし、短いながらも帝国圧政下で生き延びるために必死である人間のドラマとして見応えがあった。

   この部分は、同じスピンオフとはいえ、『ローグ・ワン』の主人公であるジーン・アーソが、その出自の因縁上、最初から反乱軍と帝国軍の争いに巻き込まれていく必然性があったのに対して、ハンの場合は、あくまでも一人の人間として必死に生き抜こうとする点が異なり、また新しいスター・ウォーズの世界を描いたと思う。

    ケッセルに行くために船を探すハン達の話は、当然『新たなる希望』を思い出させる。ベンとルークがファルコン号に出会うが如く、ベケットとハンはファルコン号に出会う。

   そして、何よりこの映画は、ハンとチューバッカが最高に良い。二人の出会いも劇的だし、偶然な出会った二人が徐々に友情を育んでいく過程や、ハンは唯一チューバッカに対してだけは友情を見せるなど心温まる。そして、ハンとチューバッカがミレニアム・ファルコン号の操縦席に初めて並ぶ場面での興奮は最大限に盛り上がる

   『最後のジェダイ』の件があったので、今回も予告編を見ながら高まる期待と同時に、どこかで警戒した部分があったが、それをいい意味で裏切ってくれたし、ファン向けの様々な演出は盛沢山で、それは素直に楽しめた。

    総じて、またスター・ウォーズを観たくなるような冒険活劇で、監督交代劇のいざこざや最近のスピンオフをめぐる動きに対する不安にもかかわらず、そんな心配もまた払拭してくれて、全体としてはスピンオフもまだ期待できるなと感じることができた作品だった。

 さて、そんな感じの総評だが、あえて言うならば、あと少し何かが欲しかったなあ・・そんな感じの映画だったように思う。

    先に残念だった点を書いてしまうと、監督交代劇の影響がやっぱり目立ってしまった部分でフィル・ロードとクリス・ミラーが広げた物語を、何とかロン・ハワードが収拾した感が最後に向かうにつれて感じてしまった点、そして、これまでのハン・ソロの様々な伝説を丁寧に説明しようとするがあまり、新キャラクターや新惑星などの新しい材料を活かしきれていなかった感が残ってしまった点、この3つの点で何か少し足りたい感じに落ち着いてしまったという印象だ。

 

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楽しかった・・けど、何かが足りない?

盛り上がりに欠けたクライマックス

    前半から中盤にかけてはいい感じに進展する物語が、ケッセル・ランの最高潮を迎えた後、少しトーンダウンしてしまい、最後でのドライデン・ヴォスとの対決のクライマックスがやや盛り上がりにかけている感は否めない。後半は全体的に平均的なテンポで最後まで突っ切った感じだ。

   また、ハンとベケットの二人の絆が、そこまで深まっているように見えないまま、クライマックスに移ってしまい、結局ハンがエンフィス・ネストに肩入れを決心する理由や、ベケットのハンの師弟関係の深まりもそこまで描かれていないままだったので、最後のシーンでの衝撃が弱くなっていた、また物語上の都合にしか見えない部分があったのは否めなかった。

    この映画は、ケッセルでの戦いとそれに続くランドとL3のドラマ、ケッセル・ランが一番盛り上がる部分なので、それに続くラストにこれ以上のものが来ないと、どうしても尻すぼみなエンディングに感じてしまう。

    最後は、心理的駆け引きによる対決で、緊迫感でドラマを作る展開だったのだが、ドライデン・ヴォスもエンフィス・ネストも自前の軍隊を持っている設定にしておきながら、その最終対決は、極地な一瞬の戦いで決着してしまった部分に若干物足りなさがあった

 今作では、コレリア、ミンバン、ヴァンドア、ケッセル、サヴァリーンと登場する惑星は多く、しかもどれも新しい惑星で、せっかく舞台となる惑星が多岐にわたっているのに、その地形的特徴の違いを映像として活かせておらず、登場する物語の舞台の数に比較して、世界がそこまで広がらない感じに映ってしまったのは残念である。

    ケッセルでの戦闘も地下かつ室内で起こるし、野外の戦闘シーンでも反乱というわりには少しこじんまりした感じで終わってしまっていた。

 また、ケッセルに至るまでどの惑星も全体的に暗めかつ室内劇も多めなので、スター・ウォーズの持っていた爽快な解放感みたいなものがないまま進んでいくので、どうしてもスケール感をそいでいる部分がある。

 救いは、唯一宇宙戦になるケッセル・ランでのTIE戦闘機との追跡劇と、それに続くファルコンでのケッセルからの脱出劇だが、それ以外では確かにアンダーワールドスター・ウォーズの若干異色な世界を見せてくれた感じはするものの、スター・ウォーズに期待するスケール感を満足させられなかった部分があったかなと言う気がする。

 

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勿体なかったキャラクター

 心配していたハリソン・フォード以外が演じるハン・ソロについてだが、オールデン・エアエンライクの演技は、映画を見ていても違和感は感じず、公開前の一番の不安であった最悪のパターン、つまりオールデン・エアエンライクの演技とハン・ソロのキャラクターのミスマッチ感により映画に没頭できないというパターンはなかったので失敗ではなかったといえるだろう。演技も喋り方などはハリソン・フォードの独特の感じをだいぶ似せており、そのせいか声の感じは違和感はなかった

 今回の映画で一番良かった点は、脇役のキャラクターがしっかりしていた点で、それぞれに見せ場があり、ドラマがあった点は非常に良かったと思う。 

    スター・ウォーズの魅力は居るだけで印象に残る脇役キャラクターが登場することだったりして、ボバ・フェットなんかは典型例だろう。

   しかしながら、今回、悪役は様々なキャラクターが数多く登場してはいるものの、どれも登場場面が少なく、基本的にあっさり倒されるので、そこまでのインパクトはなく終わっていたところは惜しいところだ。

   それになり損なったのはエンフィス・ネストで、彼女の強さも序盤の列車強奪の場合のみで、終盤であっさり正体を明かしてしまうので、この辺りは、中盤にもう少し強い悪役感を見せて欲しかった。

    ドライデン・ヴォスもそこまでの大物感を感じることが出来なかったが、残念ながら、ここは監督交代劇による産物の結果だろう。当初、フィル・ロードとクリス・ミラーはドライデン・ヴォスを、マイケル・ケネス・ウィリアムズが演じる半人半獣のキャラクターで、モーション・キャプチャーによる撮影をする予定だったが上手くいかず、ロン・ハワード監督になって、ポール・ベタニーによるキャスティングで再撮影がされた部分だ。おそらく、当初の予定では、ジャバ・ザ・ハットに匹敵するようなより存在感のあるキャラクターデザインだったに違いないが、人間型のキャラクターにおさまったために、当初描きたかったギャングの親玉感が縮小してしまった可能性がある。

   やはり、一番良かったのは、ドナルド・グローヴァーが演じるランドで、まったく違和感なくランド・カルリジアンを自由に演じていた点は、オールデン・エアエンライク以上だったと思う。

 キラも魅力あふれる存在感のあるキャラクターだった。ただ、残念なのは終わり方。キラの物語の背景はやはり描き足りない部分があったがために、最後のあのキャラクターの登場もやや突飛な感じがしてしまったのと、終わり方はもう少しどうにかならかなったかな、という気はする。個人的な感想だが、残念ながらキラのキャラクターを好きになるファンはもっと増えた可能性があっただけに勿体ない印象だ。

 

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伝説は語られたけど…

 今回の映画では、ハン・ソロにまつわる様々エピソード、伝説の由来が語られた。ケッセル・ラン、ゴールデン・ダイス、D Lー44、タトゥイーン、ファルコン号の床下、ハンの先撃ちなどハン・ソロの伝説話の過去に対する答えを、ちゃんと要所要所でかなりきちんと丁寧に説明しているのは嬉しい限りである。

 だが、あえて言うと、これらが余にも丁寧にすぎて律儀すぎるという点で、映画全体がそれだけで成立してしまい、結局それだけを説明する物語だけで終わっていた感があるのも否めない。

   そして、これに関しては、わくわくしたところもあった反面、これからのスター・ウォーズを考える上では一番不安になる部分だ。

    前日譚である以上、三部作などですでに結果が語られていることの経緯を書こうとするがあまりに、説明と答え合わせになってしまう部分が多くなるの必然で、それがファンにとって見たい部分、例えば「ケッセル・ランを12%で飛んだ」の秘密だったりとか、であるのは仕方ないし描いて欲しい部分だとは思う。

 ただ問題は、前日弾とはいえ、これらの答え合わせが世界観を狭めてしまう性質のものである点で、このことは理解しないといけないだろう。

    スター・ウォーズが一番これまでの映画と異なっていた点は、その1つの場面から広がる世界観の余地が非常に大きかったというのがある。観客のイマジネーションに訴えるものがあったわけだ。観客はケッセルとかフォースとかについて自由にああだこうだ想像できた部分が、スター・ウォーズの人気の理由だった部分がある。つまり見る人の数だけ答えがあったわけだ。

 そう考えると、これは非常に皮肉なことだが、前日譚などで製作側がそれに対する答えを語ってしまうと、それが唯一の公式回答になってしまって、ファンは答えを知れた喜びと同時に長年議論していた楽しみがなくなることは覚悟しないといけなくなる。

 つまり、今後はわれわれが最初に『スター・ウォーズ』を見たときに、フォースって何?とかケッセル・ランって何?12パーセクってどういうこと?と議論したようなものにあたるものを新しく仕込んでいく、作っていく必要がある。過去の答え合わせだけでなく、新しい伝説を作っていく製作側の努力が必要だろう。

 台詞に登場する惑星名が、これまでスピンオフ映画に登場した惑星などに言及するのはよい。だが、その一方で『スター・ウォーズ』を見たとき、「ケッセル」という惑星が登場し、それに想像を膨らませたように、新しい惑星とか新しいクリーチャーなど、世界が広がるものを取り込んで、その答えを次作以降のスター・ウォーズの中で明かしていくようなフランチャイズの仕方をしないと、今はいいにしても、将来答え合わせをするネタすらなくなってしまうだろう。 

    スター・ウォーズの世界に必要なのは、想像力を刺激される独創的世界観と、エキゾチックな異世界感と、宇宙船によるスリリングなスピード感、弱者が圧倒的強者を挫くカタルシスだ。

   こういった要素を引き継ぎながら、これまでの伝説への模範解答を示しながら、将来の伝説を作ることが求められるだろう。

 

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今後のSWの課題・エピソード4の呪縛

 さて、スター・ウォーズ映画最新作『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』が遂に6月29日に公開されました。公開から1週間以上が経っておおよその映画の評価とファンの意見も固まったのではないかと思う。心配されていた興行成績も日本では、公開含む3日で6億円を突破、出だしは好調も最終興収46億を突破した『ローグ・ワン』の約75%ほど、2週目の土日が過ぎて累計では12億突破に届く様子ということなので、おそらく25から30億の最終興収になると予想される。

 やはりスピンオフの2作目なので、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』との比較は免れないところである本作だが、考えなければいけないのは、この『ハン・ソロ』の市場での受け止められ方が、今のスター・ウォーズのブランドに対する反応そのものを如実に表しているのではないか?という点。

 『ハン・ソロ』はスピンオフ作品ということで三部作とは違う非常に異色な作品であることは間違いない。前回のスピンオフ『ローグ・ワン』はかなり本編というか「スター・ウォーズ」そのものである『新たなる希望』に直結する話だったが、今回は全く本編の銀河史には直接関係してこない(もちろんキャラクターは関係してくるのだが)、その意味で本当の意味でスピンオフと言える。

 『ローグ・ワン』がそこそこ成功したのは、これがスピンオフというよりも観客およびファンの意識の中では『エピソード3.9』のような感覚で楽しめた部分があると思うのだ。更に言えば、スピンオフ第一作目として三部作形式でない新しいスター・ウォーズ映画としての注目と期待もあった。この2点を考えると『ローグ・ワン』がそこそこ成功したことと、その最終興行収入は非常に妥当なところだったと思う。

 しかし、この『ハン・ソロ』はキャラクターの一人に焦点を当てて描く文字通りの外伝の物語なのである。

 ハン・ソロというキャラクターの人気やその前日弾を描く映画となれば、ファンは当然ながら興味を示す。だが、「ハン・ソロ」というキャラクターを愛している人というのは、基本的にはコアなファンであるわけで、今回はさらに12月に『最後のジェダイ』が公開された直後ということもあって、ファン層以外の観客がなかなか劇場に足を運んでいない事情、そして、ファンであってもリピート鑑賞客の動員が伸び悩んでいる事情がありそうだ。

 つまり、これが結局のところ、スピンオフ映画への一般客の期待度ということになるのだと思う。

  今回のハン・ソロ』でファンが見たかったものは、まず第一に『新たなる希望』に登場したハンという男の伝説の答えであった。

   そして、さらに言えば、結局ミレニアム・ファルコン号の活躍シーンは『新たなる希望』で登場したお決まりの曲『Here They Come』と砲座から攻撃するという型から脱却できていないのだ。

    確かに胸は高まるし楽しいけど、『最後のジェダイ』でも見せつけられているので、はっきり言えば、ちょっとマンネリ感も出ている部分があることは否めなくなっている。

 今回は、キラ、ハンとチューバッカらのドラマがあるので、映画としてそこでちゃんと持ってくれているので、全体としては満足だが、今後のことを考えるとやはり同じもののインパクトはなくなっていくので、今作だけを切り出せばいいとしても、今後のシリーズを考えると心配な点として挙げておきたい。

 そう考えると、やはりファンが求めているのは、いまだに旧三部作の『スター・ウォーズ』の感じなわけで、この点は創造主たるジョージ・ルーカス自身もこの呪縛からスター・ウォーズを解放できなかったわけであり、これからもディズニーそしてルーカスフィルムを呪縛し続けてしまうのだろう。 

   やはり、これをどう脱却するかは、まだまだ課題になりそうだ。『最後のジェダイ』は脱却しようとして完全に方向を間違えた(笑)が、今回は安全圏に留まりながら、挑戦できるとこは挑戦していた部分は評価したいと思う。

 

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まとめ

 さて、すでにスピンオフ第2弾も公開され、数年前までは考えられなかったように毎年スター・ウォーズが見られる時代に我々は生きているわけだが、ディズニーが作るスター・ウォーズ映画に対しての評価も、すでに定まってきた感がある。

 この記事で挙げた点は、この映画が三部作でなくスピンオフ映画であることを考えると、製作上の限界もあるので多くは期待できなかったところで、自分としてもそこまで求めるのはさすがに酷かなという部分もある。

 だが、その一方で、やっぱり今回見えた課題は、2年間で映画を作っていくことの難しさに尽きると思う。スピンオフとはいえスター・ウォーズ映画である以上、ファンが求める質は高い。今回の映画では、監督交代劇による結果、後任のロン・ハワード監督が上手く着地点を見つけて妥協させた部分で当初のスケール感が描き切れなかったところが見えてしまっている。

 こういった点を考えると、やはり2年毎に三部作、2年毎にスピンオフで1年おきに公開されるスタイルは限界がある気がする。そうであるならば、やはり間を少し開けてもいいから、スター・ウォーズに見合ったスケール感の物語を展開して欲しいし、間が空く分のワクワク感もかえって増すと思うのだ。

  ファンにとっては毎年スター・ウォーズが見れるに越したことはないにせよ、毎年いまいちなスター・ウォーズを見るならば、3年待っても良いものを見たいだろう。ディズニーには目先の利益にとらわれずに、たとえスピンオフでもスター・ウォーズ映画として相応しい映画を作ることを優先して欲しいと願うところだ。 

    さて、話題の『ハン・ソロ』も公開されてあっという間に3週間近くになろうとしていますが、そうこうしてる間にエピソード9がいよいよ撮影開始ということで、様々な話題が出てきています。引き続き、そちらの方も取り上げていきたいと思います。読書の皆様におかれましては、変わらぬご愛顧のほど宜しくお願い致します。

 

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