いよいよ今年12月15日に『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が公開されます。さらに11月11日、12日には『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が再上映されることが発表されました!
前作『フォースの覚醒』に残された謎を考察する「スター・ウォーズの謎解き」シリーズ。第1回から第3回までの記事では、『スター・ウォーズ』におけるキャラクター設定について、アーサー王物語との類似性について考察してきましたが、今回は『フォースの覚醒』の重要シーンから、新三部作のヒロイン、レイとその両親の謎を解こうと思います。私は以前から、レイの父親はルークだと思っていますが、レイとルークの関係をひとまず置いておいて、ここでは気になる母親の謎について考えてみます。
≪以下、ネタバレを含みます≫
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母親の存在への伏線!?
マズ・カナタの会話が示唆する事実
レイの正体を読み解く最大の鍵になるのは、『フォースの覚醒』の劇中のマズ・カナタとレイの会話だ。レイがマズ・カナタの城でルークのライトセーバーを握り、フォース・ビジョンを見る。その直後、マズはレイが入った地下に下りて行き、ルークのライトセーバーを発見したレイを見つける。この時の二人の会話を振り返ってみよう。
マズ・カナタ:お前の目の中に見える。お前が待っているもの-待っている人は・・・わかっているだろう、もう戻ってこない。だが、戻ってこられる人もいる。お前の助けがあれば
レイ:ルーク・・・
マズの台詞から分かることの1点目は、「お前の待っている人は、もう戻ってこない」すなわち、レイをジャクーに置いていったのが誰にせよ、その人はすでに他界している(あるいは死んではいないが戻って来るのが不可能である状況にいる)可能性が高い、ということだ。そして、もう二点目は、レイ自身も、その人はもう戻ってこないという可能性に気が付いており、マズはレイがそのことに気が付いていることをレイの目を見て感じ取ったということだ。
そして、最後に、この記事でとくに取り上げたいのは、ジャクーにレイを置いていったのはルークではないということだ。
ジャクーにレイを連れて行ったのはレイの母親か?
なぜなら、レイがジャクーで待っている人(ジャクーにレイを置き去りにした人)は戻ってこれないが、代わりにレイの助けがあれば戻ってこれる人がルークである、と言っているからである。
レイが待っている人≠レイをジャクーに置いていった人ということも考えられますが、普通に考えて「必ず帰ってくるから」と言って去っていた人物こそが、待っている人と考えられるので、レイが待っている人=レイをジャクーに置いていった人と考えるが自然だろう。
そして、レイ自身ははっきり「わたしは家族を待っているの。戻ってくるのよ。いつかね」と言っている。つまりレイが待っているのは間違いなく家族なのである。そして、逆に考えれば、レイをジャクーに置いていったのは家族(父親、母親、兄弟姉妹)であるということだ。中でも家族と言った場合に、まず考えるのは両親である。
あとは消去法で考える。両親のうち戻ってこれない人と戻ってこれる人がいる。レイがジャクーで待っている人は戻ってこれないが、レイの助けがあれば未来で出会える人、戻ってこれる人もいる、そして後者がルークだといっているのだ。
となれば、前者の両親のうち戻ってこれない人の方は、誰か?レイをジャクーに置いていった人物そして戻ってこれない人。そして、それは誰かというと、レイの母親であろう、と考える。
そして、実は『フォースの覚醒』の中には、レイがジャクーで懐かしんでいるのが、何故か女性であるような描写が多いのだ。
父親を知らない。では母親は?
レイはルークのライトセーバーに触れて過去に、置き去りにされる自分の姿をフォース・ビジョンの中で見る。この時のレイの年齢は5歳くらいと思われる。当時5歳であれば、一緒にいた人、ジャクーに一緒にやってきた人物を、おぼろげながら覚えているだろう。
カイロ・レンに捕まったレイに対するカイロ・レンの台詞を読み解いてみると、カイロ・レンはレイは父親のことを知らない、と言っている。しかし、母親については言及がなく、実はレイはおぼろげながら昔の母親の姿は覚えている、知っているのではないだろうか?
カイロ・レン:そしてハン・ソロ。そいつを父親のように思っているな。お前は父親を知らない。その幻想は行き止まりだ。それ以上追うな。真実を教えてやろう。お前は失望させられることになるぞ。
母親の記憶?
そして、もう一つは『フォースの覚醒』で、レイがアンカー・プラットに売りに行く前に廃品回収をしてきた物品を手洗いしているシーンがある。この時、ふと視線をあげた先にレイはおなじ廃品回収をしている女性の姿を見るのである。
実は、このシーンは『フォースの覚醒』の小説版では少し違う。レイは廃品回収の女性でなく、このとき天幕の外の宇宙船のスロープに立つ人間の女性と男の子を見る。
ふと目を上げて、天幕の外を見やると、誰かの動きが目にとまった。人間の女だ。臙脂と紫の衣装をまとい、目の周りと人差し指には出身部族を示す青緑の装飾を施している。女は船のスロープに立って、あたりを見回していた。ほどなく、同じような身なりと装飾の少年が現れ、女に寄り添った。親しげなやりとりがかわされ、女は少年の髪に触れた。
この後、廃品を洗うレイの手つきは知らず知らずのうちに、「女がやさしく少年の髪を撫でる動きを真似ていた」という描写もある。このシーンでレイが見つめていた女性に、レイはおぼろげながら母親の姿を思い出していたのではないだろうか。
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レイの母親の正体
レイの母親は反乱軍パイロットか?
そして、もう1つは、レイが住んでいるAT-ATウォーカーには、反乱軍の女性パイロットの人形がある。さらに、夕食後に反乱軍パイロットのヘルメットをかぶるシーンもある。この反乱軍パイロットのヘルメットは、ドスミット・ラエ大尉という女性パイロットのものであるという設定になっている。レイは幼いころに廃品漁りをしているときに、このヘルメットを見つけ、ラエ大尉の出身地や経歴を考えたり、人形を作ったりして遊んでいたのだ。
ドスミット・ラエ大尉の設定が登場したのは、映画公開と同時に発売された『スター・ウォーズ/フォースの覚醒 ビジュアル・ディクショナリー』の中だ。映画と同時発売であるので、少なくともこの設定は『フォースの覚醒』製作時あるいは、映画公開前までの時期に考えられていたことで、必ずしも完全な後付け設定ではない。
そして、小説版では、この人形の描写はほとんどない。たんにレイが持っている物、装飾品の一つとして挙げられているだけである。しかしながら、映画の中でははっきりとワンカット、この人形のシーンを入れているのは何故なのだろう?
レイは、ルークやアナキンと違って、パイロットに憧れていたわけではないのだ。ルークやアナキンは宇宙へ飛び出すことを夢見ていたが、レイはそうではなく、あくまで家族を待つことが彼女のジャクーでの生活の目的であった。そんな彼女が、反乱軍のパイロットの人形を作り、ヘルメットをかぶって独りぼっちの時間を過ごすことにはどんな意味があるだろうか。
もしかすると、レイの母親は、ずばりドスミット・ラエ大尉のような反乱軍の女性パイロットではなかったのか?じつはそう考えると、(父親候補である)ルークとの接点も生まれてくるのだ。そして、その人はもう戻ってこない。すなわち、既に亡くなっていると考える。
そもそも、この女性パイロットの名前を、ドスミット・ラエ大尉として、わざわざ公式設定をしているあたりも、ディズニーのミスリード戦略だと思うのだ。なぜなら、『フォースの覚醒』を素直に観れば、このパイロットの人形が、レイの両親に結び付くものであることは、容易に想像できてしまう。だからこそ、わざわざこの人形がレイの母親ではなく、ドスミット・ラエ大尉とした説明を用意したのではないか。実際には、レイの母親はドスミット・ラエ大尉でなくても、彼女のような反乱軍女性パイロットであるというネタバレを隠すためのカモフラ―ジュとして・・・
※実を言えば、私はこの反乱軍パイロットの人形に関して、当初製作側には別の思惑があったのではとも考えているが、これについては話題がそれるので別途どこかで書こうと思う。
母親とレイは何故別れたのか?
思い出して欲しいのは『新たなる希望』のルーク・スカイウォーカーのことだ。ルークは父親が貨物船の操縦士だったと信じていた。もちろん、これはオーウェンが真実を隠すために話したことであり、実際はダース・ヴェイダーであったのだが。
レイの操縦スキルや、船に関する知識は並外れており、彼女が元操縦士の血をひいていることは十分考えられるし、何より劇中、女性反乱軍パイロットの人形を見せるあたりは十分に伏線となっていると考える。
では、なぜレイはジャクーに置き去りにされたのだろうか?
正直言えば、私はレイは置き去りにされたのではない、と考えている。実は、色々と考えてみても、親が誰であれ、レイのような娘を辺境に置き去りにする適当な理由がなかなか私には思いつかないのだ。そこで、考え方を変えてみた。
レイは、あくまで両親の帰還を信じていたが、その一方でもう戻ってこないことを知っていた。これは事実である。では、これを矛盾なく説明できる解答はないだろうか?
これが意味するところは、レイをジャクーに置いた人物は、レイを置き去りにすることは毛頭考えていなく、戻ってくるつもりだったのだが、不幸なことに戻れなくなった、ということが考えられる。
あくまで仮説であるが、レイの母親は、父親(私はルークと考えている)と離れ、レイを一人で育てるためにジャクーにやってきた。しかし、不運なことに戦災あるいは戦死(レイの母親がパイロットであれば戦死は十分に考えられる)によりなくなり、レイは結果としてジャクーに取り残されてしまった、レイはいわゆる戦災孤児だったということは考えられないだろうか?
なぜ母親はルークと別れレイを一人で育てようとしたのか?についてはある理由があると思っている。それは『フォースの覚醒』のレイと『新たなる希望』のルークの唯一の違いがヒントになると思っているが、それについては次回また別の記事できちんと取り上げようと思う。
新三部作はレイの家族の物語
私はレイはまず第一にルーク・スカイウォーカーの娘であると考えていますが、だとしても、レイがジャクーに置き去りにされた理由や、レイの母親の謎は『フォースの覚醒』の中ではまだまだ不明だ。一番気になる両親の正体が謎である以上、これらの過去の出来事を考えるの難しい。
しかし、レイがジャクーで待っていたのは家族であることははっきりしている。そして、ディズニーがファミリー・エンターテイメント映画として『スター・ウォーズ』新三部作を作る場合、最後に主人公は両親と再会できずに終わるとうエンディングはふさわしくないように思えるのだ。ディズニーのファミリー・エンターテインメント映画は、家族の愛に支えられながら主人公が自立して独り立ちする物語である。
であればこそ、レイは途中に紆余曲折はあろうとも、最後に待っていた家族と再会するに違いないとおもうのだ。しかし、すでにジャクーで待っている人は帰ってこれないことがわかっている。しかし、戻ってこれる人もいるということは、その人はやはり家族のメンバーでないだろうか。だからこそ、私は、ルークがレイの父親であろうと思うし、すでに戻ってこれない人は、レイの母親だと思うのだ。
もし、レイの家族が誰もいないことになっていて、ルークがまったくもってレイの家族と関係のない人物であれば、どうか?レイが長年ジャクーで待っていた想いは叶うことなく終わるのである。
物語として、それがおかしいとは思わないし、そういう話が全く無しだ、とは言わない。しかし、どちらが普遍的で心揺さぶる家族の物語になるかと言えば、レイが最後に家族と再会し、かつレイが家族から独立して新しい家族をつくるという物語である。これはディズニーのプリンセスの物語のテーマと同じなのだ。
まとめ
今回は、レイの母親に関する謎の一部を『フォースの覚醒』に描かれたことから考えてみましたが、そうこうしているうちに、いよいよ『最後のジェダイ』の公開があと2か月もないうちに迫ってきました。
次作では、レイの過去も少なからず明かされると思われますが、黙って待っていられないのがファンの心情というもの・・。私も例外ではなく、『最後のジェダイ』公開へ向けて、あらためて『フォースの覚醒』から色々な謎解きをしながら記事をアップしていこうと思っていますので、なにとぞ変わらぬご愛顧のほど宜しくお願い致します。
レイの両親が気になって仕方ない世界中のスターウォーズ・ファン、そして誰であれ、どこかにいるレイのお父様、お母様へ。フォースと共にあれ!
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