StarWalker’s diary

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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の謎解き~レイとルークの繋がりと相違点から解くレイの過去~

 いよいよ今年12月15日に『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が公開されます。さらに11月11日、12日には『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が再上映されることが発表されました!

 前作『フォースの覚醒』に残された謎を考察する「スター・ウォーズの謎解き」シリーズ。今回は『最後のジェダイ』でよりその関係が深く描かれることになるであろうレイと伝説のジェダイの騎士、ルーク・スカイウォーカーのつながりについて、『フォースの覚醒』の重要シーンから読み解いていこうと思います。 

≪以下、ネタバレを含みます≫

 

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レイとルーク、フォース、ジェダイとの繋がりの謎

ルーク・スカイウォーカー?神話の人物かと思っていた」

 『フォースの覚醒』の映画の中で、ジャクーでフィンと出会ったレイは、ルーク・スカイウォーカーの地図について聞いたときこう言っていた。 

レイ:ルーク・スカイウォーカー?神話の人物だと思っていたわ」

   レイはルークの名前を知っていたが神話だと思っている。実はこのシーンは、映画ではわからないが、小説版ではこのレイの返事を聞いたフィンの心情が書かれている。実は、この場面、フィンはレイがルーク・スカイウォーカーを伝説の人物だと思っていたことに驚きあきれているのである。その部分を引用する。 

フィンはまじまじと娘の顔を見た。本気で言っているのか?確かにジャクーは辺境の星だが、いくらなんでも・・・「ほんとに?」フィンにはそんな返事しかひねり出せなかった。

 

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 すなわち、これは少なくとも銀河では、ルーク・スカイウォーカーが実在の人物として認識されていたことを示している。フィンは、いくら辺境の惑星といえどもルーク・スカイウォーカーを知らないレイに対して驚いているのだ。

 最初に、この台詞を聞いた時は、私は単純に、レイが辺境の惑星で育ち、ルークのことを伝説としてしか知らない、ということかと思っていた。あるいはエンドアの戦いから30年余りが過ぎ、ルークの存在が忘れ去られた世界が舞台であるからだとも思っていた。

 しかし、伝説というのと神話というのは大きな隔たりがある。伝説というのは語り継がれる物語であり、本当でも虚構の両方がありえるが、神話といえばそれは実在しない話、あるいは実在しないが遠い昔の本当の話と解釈されるものになる。

 だから「ルークが神話の人と思っていた」というレイの発言は、かなり突拍子もない言葉だ。レイはルーク・スカイウォーカーなる人物は、いい例えかはわからないが、現在の日本人にとっての神武天皇のごとく、名前は知っているが実在性は不明の人物としての認識しかないのである。

 だからこそ、フィンは「は?この女、まじか・・ルークしらねーのかよ?ルークだぞ!スタウォしらねーのかよ!」と、スター・ウォーズ・ファンの男性なら一度は経験したことがあろう、スター・ウォーズを全く知らない女性と付き合った時に体験するあの感じ(笑)と同じような衝撃を受けたに違いないのだ。

 フィンでさえ、「本気で言っているのか?確かにジャクーは辺境の星だが、いくらなんでも・・・」と感じるくらいなので、ルークの話は少なくとも銀河ではよく知られた話だったのではないか?しかし、レイは、ルークの名前は知っていても、それを神話の人物すなわち実在しない人物として認識していたのだ。

 そして、そうなると何故レイがルークの話をただの神話かと思い込んでいたかの理由があるはずだ。そして、レイのこのような認識はルークに対するものだけでない。

「フォースもジェダイも実在するのね?」

 ミレニアム・ファルコン号でハンからルークの話を聞くレイだが、ここで一瞬レイの顔がアップになるシーンがある。ここは、ハンが「ルークが新しいジェダイを育成していたが、弟子の裏切りにあった」ことを語るシーンだ。

 この時のレイの表情は、ルークの話を生まれて初めて聞いたというような顔ではないように見える。古い昔に聞いた伝説が目の前に蘇り、それについて、驚きを隠せない表情をしているのだ。同じ話でも、それを訝し気に聞いているフィンの反応とは正反対である。(ちなみに、このシーンをよく見ると、レイはジェダイ育成と弟子の裏切りの話についても何かしら知っているようにも見えてくる・・がこれはまた後で考察をしようと思う)

 

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 そして、ハンの話を聞いていたレイは、「フォースもジェダイも実在するのね!」と叫ぶのだ。この台詞は重要だ。レイは「フォースって何?」と聞いたわけではない。「本当に実在するのね!」と言っているのだ。

 これは逆に言えば、レイはフォースやジェダイについて、(1)少なくともその名前を知っている、(2)しかし本当に存在するとは思っていなかったということである。これは、レイがルークを神話の人物と思っていたのと同じだ。

 レイは、何も銀河内戦のことをすべて神話だと思っているわけではない。事実、ハン・ソロやミレニアム・ファルコン号のことも知っているし、これらについては神話だと思っておらず「生ける伝説」と思っているのである。また、レジスタンスやファースト・オーダーの話についても別に疎くない。銀河で起こっている情勢も知っているのだ。

 しかし、なぜかレイはフォースの話もジェダイの話もルークの話もレイは知っているが、これらのことについてだけは、なぜか神話か実在しないものだと思っていたのである。これにもやはり理由があるのではないか?

小説と映画の差から読み解く「ルーク・・・」の言葉の謎

 レイがマズ・カナタの城でルークのライトセーバーを握り、フォース・ビジョンを見た直後、マズがルークのライトセーバーを発見したレイを見つける。この時の二人の会話は以下の通りだった。

マズ・カナタ:お前の目の中に見える。お前が待っているもの-待っている人は・・・わかっているだろう、もう戻ってこない。だが、戻ってこられる人もいる。お前の助けがあれば

レイ:ルーク・・・

   

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  レイは、自分の元に戻って来れる人がいること、そしてそれがルークだということに気が付くのだ。マズに言われて、ルークの名前を呟くのはレイ自身である。

 実は、この場面、映画と小説では異なっている部分があるのだ。

 映画では、レイがフォース・ビジョンを見て尻もちをついたところへ、マズ・カナタがやってきて「そのライトセーバーはルークのだった・・」と教えた後、マズとレイは「お前がジャクーで待っている人は・・・だが、戻ってくる人もいる・・」「ルーク・・・」という一連の会話をやり取りする。

 しかし、小説版ではレイがフォース・ビジョンを見て尻もちをついたところへ、マズ・カナタがやってきて「私、戻らなきゃ」というレイに対して、マズが「これは大事なことだ」と言って「お前がジャクーで待っている人は・・・」「ルーク・・」というやり取りがされた後、マズが「そのライトセーバーはルークのだった」というのである。

 すなわち、小説版では、マズにライトセーバーの持ち主がルークであると明かされる前に、レイの方が、先に「ルーク」の名前を出しているのだ。

 これは一見不思議である。なぜなら先ほども書いたように、レイはルークをついさっきまであくまで神話の人物としてしか信じていなかったのだ。それがフォース・ビジョンを見たことで「戻ってこれる人がルークである」と瞬時に悟ったのである。

 さらに言えば、ルークを知らなかったはずのレイが、フォース・ビジョンで見たものが、ルークにつながっていることを瞬時に理解してしまったのだ。しかも、マズがライトセーバーがルークのものだったことを教える前にである。 

 あきらかに、ルークとレイには過去に何かしらのつながりがあるのである。

 そして、それほどの繋がりがありながらも、なぜかレイはルークを神話の人物と思い、フォースもジェダイも神話の話としてしか知らなかったのである。では、その理由は何であろうか?

 その理由を見つけるヒントは、『フォースの覚醒』におけるレイと、『新たなる希望』におけるルークの数少ないある相違点にあるのではないか?

 

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なぜレイはフォース、ジェダイを知っているのか?

ルークとレイの唯一の相違点

 『フォースの覚醒』におけるレイと、旧三部作におけるルークの物語には多くの共通点がある。しかし、相違点を1点あげると、それぞれが置かれていた立場の違いだ。

 ルークは、オーウェンとベールに預けられて水分農夫として、友人も作りながら暮らしていた。またオビワン・ケノービというかつて最強のジェダイ騎士の保護下にいたのだ。これはルークが将来的に「最後のジェダイ」=「新たなる希望」として対帝国の最終兵器(リーサルウェポン)としての秘蔵子であったため、絶対にヴェイダーに見つからない安全な元で育てられたからだ。そして、タトゥイーンを離れて、宇宙の外へ飛び出したいと思っていた。しかし、よく思い出して欲しいことは、その反面、ジェダイやフォースについては何も知らされていなかったのだ。

 『新たなる希望』では、フォースとジェダイについて語るオビワンに対して「フォースって?」という質問をしている。つまり、ルークは、その実体は当然ながらフォースの名前についてさえも全く何も知らないのである。

 だが、レイは違う。これとは全く逆なのである。レイは孤独で全く独りぼっちで暮らしている。住居も瓦礫の中で、ゴミ漁りのその日暮らしなのだ。当然、彼女を見守ってくれる人もいないし、彼女のいた場所は全然安全な場所ではない。映画には書かれていないが、小説版で書かれているように、そもそもアンカー・プラットなんてBB-8を見たらファースト・オーダーが捜しているのでレイから買い取ろうとするくらいの奴なのだ。さらに、ファースト・オーダーがやってきたときには自力で脱出せざるを得なかったのである。そして、いくらでも外の世界に行ける機会がありながらも、家族をあくまで待ち、ジャクーを離れたくないと思っている。しかし、その反面、なぜかジェダイやフォースの存在は知っているのである。

 『フォースの覚醒』では、ファルコン号の中で、ハンに対して「ジェダイやフォースは本当なのね!?」と聞いていたレイは、その実在性について疑問だっただけで、少なくともジェダイやフォースのことを知っているのである。しかも、彼女は映画の最後ですでにフォースを操る術まで知っている。

 これは、レイとルークが多くの共通点を持つ中で、ほとんど唯一と言っていい違いである。では、なぜこの違いが出たのだろう?その謎を解くために、レイがジャクーに、ルークがタトゥイーンに、それぞれ連れてこられた時のことを思い出して欲しい。

その時、レイの両親はどうしたか?

 レイがジャクーに来た時、レイは5歳前後と考えられる。 一方、ルークはまだ赤ん坊であった。じつはこの違いが、結果的にとても大きな違いを生んだのだと思うのだ。

 結論から言えば、レイにとってルークという存在は、大変身近な存在であったにも関わらず、何かしらの理由でルークは神話の人物として教えられたまま育ったのではないだろうか?潜在意識の中に、ルークとの不思議なつながりを感じていたレイだったが、それがフォース・ビジョンを見たときに蘇ったのである。

 おそらく、レイは幼いころに母親からルークの話を聞かされていたのではないか?しかし、それは実話ではなく、神話の話、フォースもジェダイも古のおとぎ話だと聞かされていた、ということではないだろうか。 

 その理由は、5歳の娘さんを持つご両親の方がわかるかもしれない。

 レイが5歳で、すでにフォースの訓練を少しでも受けていたとしよう。しかし、その途中で、レイをジェダイにしたくないと思ったらどうだろう?すでにレイはフォース、ジェダイ、ルークについて5歳になるまでの間に教えられた知識はある。

 「ねえねえ、レイもフォース使いたい。ジェダイになりたい」という5歳のレイがいたらどうだろう。さぞかし可愛いだろうし、娘と一緒に懐中電灯でライトセーバーごっこをやりたいと思うお父さんの気持ちはとてもわかる(笑)。(もっとも最近は玩具がすごいので懐中電灯は使わないだろうが・・ひと昔に比べいい時代になったものである)

 しかしだ。あなたがそんな5歳の娘を持っていて、何か教えたくないことがあるが、既に娘がある程度それについて知っていたとする。しかし、そのことは隠したいし、娘の将来を考えると関わって欲しくない事実があるとする。

 その時、あなたは娘に何というか?

5歳の娘に吹き込んだ嘘!?

 娘が知っている事実に対しては、「それは、全部作り話、おとぎ話よ」と吹き込まないか?なぜなら娘がそれを知っていることは隠せないのだから否定できない。しかし作り話だと教え込むことはできるからだ。

 5歳というのはサンタクロースをまだ実在すると信じている年頃であり、現実と虚構について、自分で判断はできない年頃である。サンタを信じる娘にサンタを何としても否定したい両親が「サンタなんていないのよ」とでも言うように、「ねえねえ、レイもフォース使いたい。ルークのようなジェダイになりたい」という5歳のレイに対して、「ルークは実在しないのよ」「フォースなんてないのよ」「ジェダイの騎士なんておとぎ話よ」と言っていたのではないか?

 『新たなる希望』のルークは違う。なぜなら、ルークはタトゥイーンに来た時、まだ赤ん坊で、フォースの訓練は全く受けていなかった。だからフォースやジェダイについては、オーウェンやオビワンが全く教えない限り、それらについて全く知らずに育つことができたのだ。

 レイは5歳であり、フォースやジェダイをなまじ中途半端に知ってしまっていただけに、嘘だと教え込まなければならなかったのではないだろうか?

 そして、レイがなぜあのような辺境の惑星のあぶないところで一人でいたのかもわかる。それは、そもそもレイは将来のジェダイ候補としては一度捨てられた身だからではないのか。つまり、ジェダイになんてなって欲しくないから、全くそのようなものとかかわりのない場所で育てられたのではないか?

 そして、そのように願うのは他ならぬレイの親しかいない。だからレイをジャクーに連れてきた。しかし、何かしらの理由でその親はジャクーに戻ってこれなくなってしまった。結果的に、レイは独りぼっちになってしまった。

 だから、レイはあのような場所で育ったにも関わらず、なぜかフォース、ジェダイ、ルークについては知っていたが実在しないと考えていて、さらにジャクーにいつか家族が戻ってくると信じて待つ女の子になったのだ。

 では、なぜレイの両親はそんなことをしなければならなかったのだろうか?そして、レイが一人になったときに、ルークは何故ジャクーに戻らなかったのだろう?

 それも、あなたがレイの父親、母親の身になって考えてみるのが一番のヒントになるかもしれない。 しかし、それとは別に、その謎を解く鍵は、意外にも次回作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』のライアン・ジョンソン監督が手掛けた過去のある映画作品の中にあるような気がしている。

 次回以降ではこの謎を取り上げてみたい。 

 

<補足:レイの父親はルーク>

  レイの父親については、このブログで以前の記事にも書いている通り、私はルーク・スカイウォーカーであると思っている。『フォースの覚醒』のレイと『新たなる希望』のルークには多くの共通点がある。

 これについては、以前すでにまとめた記事を書いたので、ここでの説明は重複になるため、そちらの記事をぜひ読んで頂けたら幸いです。(下記にリンクを張りました)

 『フォースの覚醒』で描かれたレイの結びつきのすべてはルーク・スカイウォーカーにつながるものだ。かつてアナキンの持っていた青い光刃のライトセーバーが、アナキンからルークに渡ったように、ルークからレイに渡ったことがすべてを象徴している。さらに、多くの人が指摘しているように、レイの髪型はパドメ・アミダラ、レイアと同じお団子ヘアーで、お団子の数も3つ。製作側はこれらの特徴を偶然作ったりはしない。これもレイが新三部作においてスカイウォーカーの血統者であることの象徴だ。

 

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三人のお団子ヘアーが示すものはレイがスカイウォーカーの血統であることである 

 

 また、キャスリーン・ケネディは、以前より新三部作は「スカイウォーカーの家族の物語」になることを明言しており、このことからも主人公であるレイがスカイウォーカーの娘であることは疑いない。

 『スター・ウォーズ』はスカイウォーカーの家族の物語である。確かにオビワンやパルパティーンの孫娘のジェダイやダーク・ジェダイがいるのも設定としては面白い。しかし映画として、ファミリー・エンターテイメントとして一番ふさわしい物語は、家族の物語である。

 オビワンやパルパティーンは死んでしまっているし、どうやって家族の物語を映画で描くだろうか?それはルークとレイが父娘という関係であってこそ描ける物語なのだ。父と娘がなぜ別れ離れて暮らし、そして再び再会し、この後の運命にどう立ち向かっていくか、それが『スター・ウォーズ』が描く家族の愛の物語だと私は考えている。

 製作側がレイの両親についてどのように考えているかについても、以前の記事にまとめたものがあるので、そちらの記事も合わせて読んで頂けたら幸いです。

 

・レイ=ルークの娘説に関する関連記事 

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まとめ

 私はレイはまず第一にルーク・スカイウォーカーの娘であると考えています。多くのファン(私も含めてだが)がやっているように、レイのライトセーバーの戦い方の旧三部作との比較考察なども面白い。しかしながら、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』は何よりもまず映画であり、映画である以上は、画が語っていることからまず考察していくべきと考えます。

 なぜなら、画には製作者、監督の演出がされているからであり、それらが語るものが物語であるからです。それに、『フォースの覚醒』は何も熱烈なスター・ウォーズ・ファンだけのものではない。過去の6作品、あるいは旧作品だけ、あるいは一度もスター・ウォーズに触れたことのない人にも向けて作られている映画である。となれば、そもそも過去作品との比較をしなくても、映画の文脈の中で、一般の観客でもわかるような答えのヒントが示されていなければ1つの映画としては成立しえないのですから。

 いくらフォース・ビジョンの中でオビワンの台詞が登場していたとしても、あるいはライトセーバーの細かい戦い方が似ていたとしても、そこに気がつく人間は極少数なのであって、それを伏線の一部として入れることはあったとしても、映画全体の中で、よりはっきりとした形でレイ=スカイウォーカーという文脈が出来上がっている以上、それが映画のメッセージ、答えであると考えます。

 だからこそ、レイを演じたデイジー・リドリー本人が言っているように、彼女は「沢山のことは『フォースの覚醒』の中で明らかになっている」と感じているのです。

 レイの両親が気になって仕方ない世界中のスターウォーズ・ファン、そして誰であれ、どこかにいるレイのお父様、お母様へ。フォースと共にあれ!

 

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