StarWalker’s diary

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中島春雄さんご逝去にあたり ~ゴジラが生んだ日本の特撮~

 2017年8月7日、中島春雄さんの訃報に接し、謹んで故人のご冥福をお祈り致します。この訃報は海外でも大きく取り上げられ、あらためて「ゴジラ」という日本が生み出した一つの文化の世界的影響を感じられずにはいられなかった。  

 中島春雄さんは、ゴジラ俳優として、1954年『ゴジラ』に始まり昭和ゴジラ映画12作品でゴジラを演じた。またゴジラだけでなく『空の大怪獣ラドン』ではラドン、『モスラ』ではモスラ幼虫、さらには『キングコングの逆襲』ではキングコングウルトラマンウルトラセブンなどでも数々の怪獣を演じた着ぐるみ俳優(スーツアクター)である。

 

私とゴジラ映画 

 私は、ゴジラシリーズは昭和、平成、海外制作のもの、そして昨年の『シン・ゴジラ』まで全ての映画を観ているくらい、ゴジラ映画には深い深い思い入れがあり、ゴジラが好きである。 

 私が初めてゴジラ映画に出会ったのは、1991年に公開された『ゴジラvsキングギドラ』を劇場で観たときだった。そこから次作の『vsモスラ』『vsメカゴジラ』『vsスペースゴジラ』と平成ゴジラシリーズを毎年父親と見に行った。

 当時小学生だった私は、あまりにゴジラが好きだったため、毎回映画を観に行く時は、必ず二回観た。よく父も私のわがままに付き合ってくれたと思う。だが、平成ゴジラシリーズの最終話であった『ゴジラvsデストロイア』だけは別だった。いつもの通り2回目を見ようかと誘ってきた父に対し、私は初めて「嫌だ・・・」と断ったのだ。

 この映画で、死にゆくゴジラを私は見たくなかったからだ。『ゴジラvsデストロイア』のラストシーンでメルトダウンしていくゴジラを見ていて、どこからともなく涙が溢れてきてしまった私は、あまりに悲しい気持ちになり、どうしても2回目を見ることは出来なかった。そのまま自宅に帰るまで、普段だったら明るく映画の感想を勝手に父に向かってしゃべる私だったが、この日はついに何もしゃべらず無言のまま自宅へ帰った。ゴジラが死んでしまうことが私には信じられず、映画の後も、まだ信じられずにいた。 

 平成ゴジラシリーズでゴジラに出会った私は、すぐに過去のゴジラ映画を見たくなった。当時、父は会社帰りにレンタルビデオ店で、過去のゴジラ作品を借りてきてくれた。私はそれを父親と一緒に観たものだった。 1954年に公開された『ゴジラ』は、そのような形で父が借りてきたレンタルビデオで鑑賞したのが最初の出会いであった。

 のちに悪玉から善玉へと大衆文化の中でその性質を変えていったゴジラだったが、なによりこの初代ゴジラには、何とも言えない怖さがあったのを覚えている。昭和・平成ゴジラシリーズを通して、ゴジラだけが登場する映画は、1984年にも作られているが、私にはこの初代ゴジラが一番怖く、そして畏敬の念に近い恐ろしさを感じる。 

 この恐ろしさを生み出したのは、物語性ももちろんあるが、何より中島春雄さんのスーツアクティングによるものが大きかったと思う。ゴジラの持つ重量感と、黒い巨大な存在感と、逃げる群衆の後ろにゆっくりと静かに迫ってくるゴジラの不気味さは、当時主流であったストップモーション・アニメーションによる特撮では表現できなかったと思う。

 

ゴジラ以前の特撮 

 特撮というものは、映画の誕生とともにあったと言える。

 世界で初めての映画監督と言われているジョルジュ・メリエス(1902年の『月世界旅行』を作ったことで有名)は、映画創生期において様々な技術を発明したが、その一つにストップモーション・アニメーションというのがある。これは、静止している物体を1コマ毎に少しずつ動かしてカメラで撮影することで、その物体が動いているように見せる特撮(SFX)技術で、言ってしまえばアニメーションを実物でやるようなものである。  

 20世紀初頭は、このストップモーション・アニメーションの時代で、数多くの作品がこの技術をつかって作られた。中でも有名なのは、ウィリス・オブライエンと、特撮の巨匠と言われたレイ・ハリーハウゼン(1920-2013)だろう。

 ウィリス・オブライエンは、1925年の『ロスト・ワールド』(原作は、シャーロック・ホームズを生み出したことで有名なアーサー・コナン・ドイルが1912年に書いたSF小説「失われた世界」)でストップモーション・アニメーションを使い、異世界に住む恐竜をリアルに表現し、初めてのモンスター映画というジャンルを作った。そして、この技術は、1933年に作られた『キング・コング』に活かされ、今や「キング・コング」は今でもたくさんのリメイクが作られるモンスター映画の代名詞的作品となった。

 レイ・ハリーハウゼンは、1953年に作られた『原子怪獣現わる』で、核実験によって現代によみがえった恐竜リドサウルスの特撮を手掛け、そのリアルでダイナミックな動きは世界を驚かせた。この映画は翌年1954年に作られた『ゴジラ』にも影響を与えた。1960年代から1970年代にかけて、『SF巨大生物の島』『恐竜100万年』などでストップモーション・アニメーションを用いて多くの恐竜やモンスターの特撮を手掛けた。 

 

ゴジラが生んだ日本の特撮 

 1954年に日本で作られた『ゴジラ』は、このストップモーション・アニメーションに代わる特撮技術を世界にもたらしたともいえる。これまで怪獣、モンスターはストップモーション・アニメーションで撮影することが主流であった中、『ゴジラ』は、着ぐるみを使い、人間が中に入って動かすという、いわば人間が役者として怪獣を演じる、という発想で撮影を行ったのだ。

 特撮を手掛けた円谷英二は、ゴジラを『キング・コング』と同様に、ストップモーション・アニメーションで撮影しようと考えていたようだが、予算と撮影日数の制約からあきらめた。結果的に、これが日本独自の「ミニチュアセットを着ぐるみを着たスーツアクターが怪獣を演じる」という特撮技術を生み出した。そして、これが『ゴジラ』を世界的に有名にした、先に述べたゴジラのあの何とも言えない恐怖感を作り出したのだと思う。

 『ゴジラ』が従来通りの、ストップモーション・アニメーションで作られていたら、ひょっとしたらゴジラは単なるB級特撮映画として、あるいは日本を代表するポップアイコンとならずに続編を作られずに終わっていたか、ハリウッド映画の二番煎じとして大した評価を与えられずに終わっていたかもしれない。その意味で、ゴジラが生んだこの特撮技術は、今風の言葉でいうところのまさしくイノベーションであったに違いない。

 ストップモーション・アニメーションのような小型な人形による撮影では、どうしてもあれだけのスケール感は出ない。当時、身長が50mの大怪獣なんてものは、映画の中にすら存在しない空想の動物だった。キングコングでさえ身長10m大である。これをストップモーション・アニメーションで行っていたら、『原子怪獣現る』のパクリと言われても仕方ない作品にすらなっていたのではないだろうか。

 生物としての動きは、人間が演じればこそ表現できる部分があったはずだ。最初、円谷監督からは、参考に1933年の『キング・コング』の映像を見せてもらったそうだが、ゴジラは50mの設定で、キングコングは10m大、さらにキングコングの動きは明らかに類人猿だから人間に近いのに対して、ゴジラは全体的な姿は恐竜に近いが、生態は爬虫類か両生類に近く、直立二足歩行であるく様は人間のようで、まったく空想の生き物である。中島春雄さんは、ゴジラの動きを演じるにあたり、上野動物園へいき、色々な動物の歩き方を研究されたそうだ。まさしくゴジラ”俳優”だと感銘を受けるエピソードである。

 

 中島春雄さんのゴジラの演技は、平成になって、薩摩剣八郎さんに受け継がれ、ミレニアムシリーズの喜多川務さん、近年の『シン・ゴジラ』では、狂言師野村萬斎さんによるモーションキャプチャー(実際の人間や物体が演じた動きをコンピュータに記憶させる技術。俳優の記憶された動きをもとにフルCGのゴジラを作成した)へ受け継がれている。

 何より「ゴジラ俳優」なんて言葉が生まれたのも、中島春雄さんがいらっしゃたからに他ならない。今に至る怪獣演技を生んだ、元祖ゴジラ俳優の中島春雄さんは、山形県酒田市出身の1929年1月1日生まれで享年88歳だった。

 

 心から故人のご冥福をお祈りします。 

 

 <参考>怪獣特撮映画、空想力と独自の工夫の軌跡

<参考>「元祖」ゴジラスーツアクター中島春雄

  

基本情報:『ゴジラ

[作品データ]
原題:ゴジラ
製作年:1954年
製作国:日本
製作会社:東宝
配給:東宝
上映時間:97分

[スタッフ]
監督:本多猪四郎(本編)/円谷英二(特撮)
脚本:村田武雄/本多猪四郎
製作:田中友幸

[キャスト]
宝田明
河内桃子
平田昭彦
志村喬 ほか

 

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ゴジラ』劇場公開時ポスター 

  

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