レイク・スターウォーカーは如何にしてレイク・スターウォーカーになったか?というのはやや大げさな書き方(笑)ですが、『スター・ウォーズ』という映画は私の人生を通して、常に傍にありました。今回、スピンオフ映画のタイトルにちなんで、私、レイク・スターウォーカーの人生と『スター・ウォーズ』の関わりを振り返る半自叙伝的?ブログ記事をシリーズで書くことにしました。スター・ウォーズとの出会いから今に至るまでの『私のスター・ウォーズ・ストーリー』です。スターウォーカーはどんな風にスター・ウォーズと一緒に人生を歩んできたのか、自分がスター・ウォーズを愛する原点はどこにあったのかを振り返りながら書いていこうと思います。
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遠い昔・・・
私と「スター・ウォーズ」の出会いは、はっきりといつかは覚えていない。というよりそれくらい遠い昔からスター・ウォーズが自分の人生の一部だと言えるかもしれない。
自分のスター・ウォーズに関する一番古い記憶は、家に『スター・ウォーズ/新たなる希望』の日本語吹き替え版を収めたVHSがあって、それを幼い時から繰り返し見ていたことだ。最初に見たのがいつかは全くわからないが、幼かった当時、最初のオープニングが明けて画面いっぱいに登場するスター・デストロイヤーの場面と、二体のドロイドのキャラクターの印象が強くはっきりと覚えている。この時は話の内容よりもドロイドや砂漠の惑星に住むジャワとかそういった世界観に魅力されていた。
当時のこの日本語吹き替え版のVHS版では、最初のオープニングクロールで、英語で流れるクロールに日本語でナレーションが入っていたが、当時は当然ながら英語がわからない子供だった私には、これが余計にカッコいいと思ったのである。
また、日本語のナレーションは字幕による文字の制約もない分、非常に丁寧で分かりやすく、子供には内容は理解できないけど、なんか凄いことが起きてるという魅力を感じさせる点では、原文や日本語版オープニングクロールにない格好良さがあったものだ。
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いつでもスター・ウォーズを見ていた私
もう一つ思い出がある。私が幼い時、母親がママ友の友人宅に招かれた時があった。母以外に何人かその友人の付き合いのあるママ友が子供を連れて来て集まっていたと思う。私も母に連れられて訪ねた時に、そのお宅の居間のビデオデッキに、同じように『スター・ウォーズ』のVHSがあったのだ。
私がそれを見つけたことに母だが誰が気がついたのか、そのビデオを再生してくれたのを覚えている。これは、確か妹の幼稚園のママ友だったはずで、妹は妹の友人同士で遊ぶなか、私はママ友の会話には興味などないから、ひとり「スター・ウォーズ」を見ていた。もちろん、それまでに何度も観返しているのだが「スター・ウォーズ」は私にとって何度見ても飽きないものだったのだ。
妹の幼稚園の頃だから、小学生一年生の頃だろう。この頃にすでに何度も見ていた記憶があるのだから初見はそれ以前に違いない。
この当時は、こんな風に時間さえあれば「スター・ウォーズ」のビデオを見ている子供だった。そのうち、ごく自然に冒頭のナレーションから台詞も暗記するようになったのも当たり前だったかもしれない。
また、時には家族で出かけるという時も、出かける直前まで、スター・ウォーズを見ていて、出かけるからビデオを停止させれたことに不満で「続きを見る!」とって駄々をこねて親を困らせたこともあった。
C-3PОが好きだった私は「3PОとR2が見たい」と言って自分がスター・ウォーズを見たい意志を伝えていたのが不思議と記憶に残っている。ただ、私は「3PОとR2が見たい」と言っていたつもりだったのだが、どうも実際には「3PОとXX(XXは覚えていない)が見たい」と何か違うことを言っていたようで、親から「3PОとXXは同じだ」みたいなことを言われた記憶がある。XXを何と言っていたのかは全く覚えていないが、うる覚えながら「金色のロボット」みたいなことを言っていたように思う。だから親もそう言ったのだろう。にしても、駄々をこねる自分にちゃんと訂正してくれていた親もなんと親切だったことか笑。
3PОの思い出
いずれにせよ、つまりこの時はドロイドの名前も正確には覚えていたわけではないということで、ただ彼らの印象だけが強く残っていたのだろう。
中でも、今でも特に印象に残っているのが、モス・アイズリ―宇宙港でベンとルークがカンティーナで宇宙船を探しているときに、3PОとR2が、帝国軍のストームトルーパーが探索する中で不安そうに待っているシーン。そして、デス・スターの中で、ミレニアム・ファルコン号が拿捕されている格納庫の横の制御コンソール室の一角で、ハンやルークの戻りを不安そうに待っているシーン。そして、最後に、ルークの出撃のため一緒にX翼機に乗り込むR2を見上げて「戻って来いよ」と声をかける3PОのシーンだった。
こう振り返ってみても、私は3PОが好きだったことがよくわかる。どうやら幼い時の私は3PОがいつも不安そうに彼の主人や相棒を心配している場面で、彼の心中に知らないうちに感情移入していたのかもしれない。ロボットというキャラクターに感情移入するとは、まったく初めての経験だっただろう。
話は少しそれるが、3POは『帝国の逆襲』以降、どんどん勇気ある英雄的行動で主人を助けるR2と違い、道化師的役割を担っていってしまうが、『新たなる希望』では、それなりに有能で、デス・スター内では、とっさの機転を利かせてピンチを脱していたりする。だから、自我をもって大義のためにベン・ケノービの下へ向かうというR2と、あくまで主人に忠実な3POというバランスがあり良い相棒だったわけだ。
それが、何年か後の『クローンの攻撃』では、惑星ジオノーシスのドロイド製造所で、散々な目にあうところまで扱いが酷というか雑になってしまい、私は流石に耐えられない気持ちになって複雑な思いをした・・・
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『帝国』のトラウマ
さて、そんな3PО好きだった私だが、スター・ウォーズの続編があることを何を通してだか知っていて『帝国の逆襲』を見ることになる。だが『新たなる希望』にそこまで入れ込んだ私は、実は『帝国の逆襲』については、このころに見た時にはそこまで強い印象を得た覚えがないのだ。唯一強く印象に残っているのは、私の愛しいドロイドが、クラウド・シティでバラバラにされ、なんとも惨めで可哀そうな姿で登場する場面だ。
今更だが、この3PОが最初に何者かに撃たれるシーンは、はっきりと帝国軍にやられたことは映像からは分からない。前後の文脈から分かるのだが、当時の子供だった私はよくわからなかったのだろう。このころは、どうして3PОがいきなりバラバラになって登場しているのかさっぱりわからず、ただ3PОが可哀そうという気持ちと何か切なさみたいな複雑な気持ちを抱かされたのだけが記憶に残っている。ここでもやはり私にとってはスター・ウォーズは3PОだったようだ。
このような体験があったので、自分にとって『帝国』は怖い映画として記憶に残ってしまい、幼い時は『新たなる希望』が断トツで大好きで、次に『ジェダイの帰還(当時は「復讐」)』そして『帝国の逆襲』の順番。これは『帝国の逆襲』が好きになった今でもあまり変わっていない。
こうして小学生低学年のときに、既にスター・ウォーズの世界に魅了されていた私だが、スター・ウォーズが私の身近にあった理由はもう一つある。それが、東京ディズニーランドに1989年にオープンしていたスター・ツアーズだった。
(続く・・・)