StarWalker’s diary

映画スター・ウォーズに関する独自の考察、謎解き、分析、最新作のストーリー予想、最新情報を発信するブログ

スター・ウォーズ新三部作の謎解き~1~:なぜは新三部作は「光と闇」の話に生まれ変わったのか?

 スター・ウォーズ映画最新作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は昨年12月15日に公開され、新三部作はいよいよエピソード9の製作が始まろうとしています。

 新三部作の完結編となるエピソード9ですが、そもそもこの新三部作はこれまでの2つの三部作とは決定的に異なる点が一つあります。そして、それがこの新三部作がどのようなエンディングを迎えるかを考えるヒントになるのではと思っています。

《!以後、『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』のネタバレ含みます》

 

f:id:StarWalker:20180208112620j:plain

 

 

スポンサーリンク

 

 

すり替えられたテーマ

善と悪

    これまでの作品を見ている人ならわかるが、旧三部作、前日譚三部作でのテーマは、「善と悪」だったのだ。確かに、フォースは光明面、暗黒面と呼ばれているが、ジェダイとシスは、善と悪という言葉で表されていた。

 『帝国の逆襲』でも『ジェダイの帰還』でも、フォースの光明面、暗黒面はそのまま善と悪に直結しており、あくまで光明面=善、暗黒面=悪の構図であった。

  例えば、『帝国の逆襲』でヨーダのもとで修行するルークは、暗黒面について教えるヨーダに対して「暗黒面のほうが強い?」と聞き、「善と悪をどう見分ければいいのですか?」と問う。 

 

善と悪をどのように見分ければよいのですか?

- How do I know the good side from the bad ? 

 

 つまり、台詞の中でごく自然に、暗黒面という言葉が「悪」に直結してすり替わっており、光明面=善、暗黒面=悪なので、ほかの解釈はないのだ。

 これは『ジェダイの帰還』でも同じだ。

 ダース・ヴェイダーは暗黒面に誘惑され、その時「善き人(good man)」であったアナキン・スカイウォーカーはヴェイダーに敗れたとオビワンは説明する。ルークもまた、ベイダーには良心が残っていると説き、ヴェイダーの内面の光明面と暗黒面との葛藤は、そのまま善と悪の葛藤だった。

 

彼にはまだ良心が残っている。

  - There is still good in him. 

彼は人というより邪悪に歪んだ機械だ。

  - He is more machine now than man twisted evil

あなたの中では善と悪とが戦いを始めている。

  - I feel the good in you. The conflict.

  

 これはアナキン三部作でも同じで、 光明面=善、暗黒面=悪の構図はずっと変わっていない。 パルパティーンは悪と呼ばれ、ジェダイは善であり、アナキンは善良な男から悪へと転落したダークヒーローとして描かれ、パドメはそれでもアナキンの良心を信じているという話だったのだ。

 

パルパティーン議長はだ!

  - Anakin, Chancellor Palpatine is evil

俺にはジェダイこそ悪だ!

   - From my point of view, the Jedi is evil

彼にはまだ善の心がある、私にはわかるの・・

  - There is good in him, I know...I know..still...

  

   では、この善と悪というテーマは新三部作ではどうなっているのだろうか?

光と闇

    実は新三部作においては、あくまで強調されるのは「光と闇」なのである。つまり、暗黒面=悪、光明面=善ではなく、あくまで暗黒面=闇、光明面=光であるのだ。

 

「光か、闇か・・」

 -『最後のジェダイ』日本語版ポスター

闇が立ち上がり、光が拮抗する -スノーク最高指導者

 -The darkness rises, the light to meet it. 

強い光には強い闇が -ルーク

    - Powerful light, powerful darkness.

彼にはまだ光がある -レイア

    - There is still light in him, I know.

闇を見たのだ、彼の中に広がる闇を -ルーク

    - I saw darkenss. I sensed it building in him. 

 

    すなわち、新三部作が持つこれまでのスターウォーズと決定的に異なる部分、それは従来のテーマが「善と悪」だったのに対して、新三部作はあくまでも「光と闇」であることだ。

 この「善と悪」から「光と闇」への転換は新三部作を理解するテーマであり、いたるところに現れている。逆に「善と悪」という言葉はほとんど伏せられていて、『スター・ウォーズ』はすなわち勧善懲悪の物語では完全になくなっているのだ。

    『フォースの覚醒』で、レイアは暗黒面に落ちた息子カイロ・レンをまだ信じていることを言う「彼にはまだがある」と。

 

f:id:StarWalker:20170820180034p:plain

『フォースの覚醒』で「息子にはまだ光がある」というレイアの台詞は、新三部作が「善と悪」から「光と闇」の話に転換していることを如実に表すものだ。

    これはジェダイの帰還で父を信じていたルークやシスの復讐でアナキンを信じていたパドメの台詞に重なる。だが、ルークとパドメは「彼にはまだ善の心がある」と言ったのに対して、レイアは「彼にはまだ光がある」と言うのだ。

    もし、新三部作がこれまでの『スター・ウォーズ』と同じならば、レイアの台詞はルークやパドメと同じ「善の心がある」でいいはずだ。だが、ここでレイアにはわざわざ光と言わせているのだ。

 スター・ウォーズ』新三部作はこれまでの善と悪の物語とは異なっていて、我々の知らぬ間に光と闇の物語にすり替わっているのだ。

 

スポンサーリンク

 

 

 

レイとカイロ・レンの名前の秘密

 だから、レイの名前は「レイ=光」なのである。これ以外に名前のつけようがない。そして、カイロ・レンという一見不思議な名前も、レン騎士団という存在を作り出したのも、これまでのシスとは異なる存在であることの証だ。

 これは、これまでのシスの暗黒卿の名前の由来を考えてみるとよりはっきりする。

   ジェダイと異なり、シスあるいは暗黒面に通じるものは本名を名乗らず、ダースの称号(Darth=Dark Load of Sith:シスの暗黒卿の略称)を名乗るが、カイロ・レンは、シスではないので、ダースを名乗っていない。

 実はダースの称号と、ダースの後に続く名前の付け方は非常にわかりやすいルールがあり、シリーズに登場したシスの暗黒卿の名前は、これに則っている

 以下に主なシスの暗黒卿の称号と、その名前の由来になった言葉を書いてみる。 (注:ダース・ヴェイダーに関しては若干異なる経緯もあるがここでは触れない)

 

 ・ダース・シディアス(Darth Sidious) <= insidious[形容詞]狡猾で陰険な

 ・ダース・ヴェイダー(Darth Vader) <= invader[名詞]侵略者、侵入者

 ・ダース・モールDarth Maul) <= maul[動詞]傷つける、攻撃する、襲う

 ・ダース・ベイン(Darth Bane) <= bane[名詞]破滅の根源、死

 ・ダース・ティラヌス(Darth Tyranus) <= tyrant[名詞]暴君、圧制君主

 ・ダース・プレイガス(Darth Plagueis) <= plague[動詞]辛く苦しめる、疫病

  

 このように、シスの暗黒卿の名前は、攻撃的、破壊的な意味合いを持った形容詞、動詞、名詞などの変化形に過ぎず、非常に単純でわかりやすい。そして、このシス卿の名前には完全に「悪」のイメージしかない。

 新三部作を始めるにあたって、カイロ・レンがシス卿として登場しないのは、新三部作が「善と悪」ではなく、あくまで「光と闇」の話にしたいからだ。カイロ・レンが、これまでのシス卿と同じように、絶対的な悪のイメージを持つ名前に由来するダース・なんちゃらと名乗っていたら、これまで通りの「善と悪」の物語にしかなりえないのである。

光と闇の歴史が示すもの

「善と悪」から「光と闇」への転換の意味

 「善と悪」から「光と闇」への転換は、ヒロインがレイ、敵役がカイロ・レンという名づけられた時点、新三部作が始まったときからの既定路線なのだ。

 これは、『フォースの覚醒』の時点でごくさり気なく隠れて存在しており、ついに『最後のジェダイ』では前面に登場してきたというだけであり、それゆえに『フォースの覚醒』は『新たなる希望』とは全く違うし、『フォースの覚醒』は『新たなる希望』のリメイクに過ぎず、『最後のジェダイ』でスター・ウォーズが新しくなったというのは表面的な見方でしかない。

 新三部作では、このようにして「光と闇」へのテーマの転換(あまりにも巧妙なのでさりげないすり替えと言ってもいい)がなされている。

    では、なぜ新三部作はこれまでと異なる「光と闇」の物語にされたのだろうか?

 「善と悪」では、この二つは対立概念でしかない。善が悪をともなうことはないのだ。しかし「光と闇」となると異なってくる。光はつねに闇を伴うものだ。光が指せば影が出来る。光があればそこには闇が生まれるし、闇は光なしには存在しえない。

    だから、二つは異なるものだが、二つで一つの実を成すものでもあるのだ。これは善と悪の概念では存在しえないものだ。だが、光と闇とすることでこの二面的一存在の概念がごく自然に生まれてくる。

    私は、ここに「善と悪」から「光と闇」への転換の理由があると思っている。 

フォースの調和の歴史

 私は、フォースのバランス、調和とはある一つの形を持つものでなく、様々な形で存在しうるものだと考える。

 すなわち、銀河共和国時代にはジェダイが最盛期を迎えたわけだが、その裏でシスはいつの時代も存在していたのだ。光に伴う影のごとくである。

 銀河皇帝パルパティーンことダース・シディアスが影で存在したのも、ジェダイがかくも強力な存在であった時代のフォースの意思により、その対局に強い暗黒面の力の集中先の一人として、フォースがバランスを求めるため自然に生み出された存在なのかもしれない。

 そして、アナキン・スカイウォーカーは、そんなパルパティーンによる暗黒時代を終わらせるための存在として産み落とされたジェダイ騎士の崩壊により、ジェダイは滅んだが、ヨーダとオビワンは隠れて存在していた。

 だから、銀河帝国時代もジェダイ、シス、光と闇はバランスしていたのだ。たんに闇が表となり、光が裏となっただけだ。

 アナキンはパルパティーンを倒した。これによりジェダイもシスも旧共和国から続いた内乱も集結した、オビワン、ヨーダ、アナキン、パルパティーンと旧共和国の名残は完全に消滅した。

 この時、フォースはバランスを取り戻したように見える。

レイの誕生の意味

 だが、ルーク・スカイウォーカーだけが残った。

 しばらくはこの形でフォースはバランスしていたのだろう。ルークの影には、スノークが実は存在しており、光が表、闇が裏でフォース自体はバランスを保っていたと考えられる。

 だからルークの対極に位置する存在としてスノークがいるのだ。

 しかし、ルークは、その後、旧ジェダイ騎士団が追求したように、光明面のみを追求しようとした新ジェダイ騎士団を作った。ルーク自身が強力な光明面の使いであったゆえに、その対極にあたる存在としてスノークの力を結果的に増してしまったのではないだろうか?

 だが、ベン・ソロが暗黒面に転向したことで変わる。ルークはフォースから自らを閉ざして惑星オクトーに隠れた。

 レイが生まれてきた理由はここにあるのではないか?

 なぜなら、ルークは自らをフォースから閉ざしていた。だから、この時フォースは、暗黒面にスノークとカイロ・レンを持ち、光明面ではルークを失ったことにより、一時的にバランスが崩れたのだ。

 カイロ・レンとスノークという強力な暗黒面の使い手である彼らと拮抗するだけの光の存在を、フォースは生み出した。それがレイではないか?

 ベン・ソロがカイロ・レンとなったのは、『フォースの覚醒』の6年前だ。だから、ルークがオクトーに行き、フォースと隔絶して隠遁生活を始めたのもこのころである。

 レイはずっと自分の中に、その正体がフォースだと気が付かなかったが、何か不思議な力があることを感じていたという。だが、それが徐々に大きくなって覚醒し始めたのはいつの時からだったのだろう?

 私は、ベン・ソロがカイロ・レンとなり、ルークがフォースと隔絶した時、つまり『フォースの覚醒』の6年前くらいからなのではないか?

 つまり、光明面がルークを失った時から、徐々にレイはフォースの意思によって彼女の内面にあるフォース感応力が覚醒していったのではないだろうか?

 そして『フォースの覚醒』時点で、レイの力が完全に覚醒したのだ。 

 こうしてみるとわかるが、闇が強くなると、それに拮抗する光が強くなり、光が強くなれば闇もまた強くなるのである。

 ダース・ヴェイダーとなったアナキンが転向し、パルパティーンを滅ぼしたことは、フォースにバランスをもたらす一つの形であった。また、強大なジェダイが存在する一方で、シスが存在するのもまたフォースのバランスという意味では一つの形と言える。

 だが、これらはあくまでフォースにバランスをもたらす一つの形に過ぎずフォースとはさまざまな形でそのバランスを維持するように働くものなのではないか?

 ルークはスノークの表であり裏である。

 だからスノークが死んだとき、ルークもまた死んだのだ。フォースは、これによって、強力な光と闇の力を持つ二人として登場するレイとカイロ・レンの二人だけを残した。さらに、カイロ・レンはスノークを倒して、その闇は一層深くなった。

 レイとカイロ・レンが、再びフォースにバランスをもたらすとしたら、そのバランスの歴史は、エピソード1から6ですでに描かれた同じ形を繰り返すのだろうか?

 「善と悪」と異なり「光と闇」は2つで1つなのである。これが新しい形で再びバランスするとはどういう意味だろうか?

 

スポンサーリンク

 

 

そして、エピソード9はかく完結する

  昨年10月、JJエイブラムス監督とその周囲が、エピソード9に関して次のように発言している。 

エピソード9は、これまでの三部作全ての完結編になる。

    私は、この製作側の発言がずっと気になっている。

 新三部作はこれまでの三部作とは異なると同時に、エピソード1から6を完結させるための三部作でもあるということだ。これは何を意味するのだろう?

 エピソード1から3で描かれたものは何か?それは共和国の繁栄から帝国の勃興、アナキンの誕生からダース・ベイダーの誕生であり、光から闇への歴史だった。

 エピソード4から6で描かれたものは何か?それは反乱軍の勃興、ダース・ベイダーの闇から光への転向、ダース・ベイダーの最期であり、闇から光への歴史だった。

 では、エピソード7から9で描かれるものは何だろう?

 ずばり、それは、光と闇の再結合ではないのか?つまり、これまでバラバラだった光と闇が再び一つになる物語だ。こうしてエピソード1から9は、一つの『スター・ウォーズ』として完結に向かうのではないだろうか? 

まとめ

 「善と悪」では対立概念しかなく、そのエンディングも悪が善に転向するか、善が悪に転向するかしかなくなってしまう。エピソード6が前者であり、エピソード3が後者であった。

 私は、ディズニーもルーカスフィルムもこれまでと同じような完結編を作るとは思わない。それはしっかりと考えられているはずだからだ。

 だから、新三部作では「善と悪」でなく「光と闇」の物語に転換させた。新三部作の完結編であるエピソード9では、光と闇が再び一つになることで、フォースのバランスが保たれるという新しい形のエンディングを用意しているのでは?と思うのである。

 実は、エピソード9の物語を予想するヒントは、ある有名なファンタジー映画に描かれている。それは、まさにカイロ・レンとレイに似た名前を持つ主人公が光と闇を再結合する物語なのだ。

    次回は、このファンタジー映画の考察から新三部作の行方を考えてみたい。 

 

《2018/2/16 追記》本記事の続きを投稿しましたので、合わせてどうぞ。

www.lakestarwalker.com