StarWalker’s diary

映画スター・ウォーズに関する独自の考察、謎解き、分析、最新作のストーリー予想、最新情報を発信するブログ

Lake Starwalker:My Star Wars Story /Episode III 新たなる世界

    『スター・ウォーズ』という映画は私の人生を通して、常に傍にありました。スター・ウォーズとの出会いから今に至るまでの『私のスター・ウォーズ・ストーリー』の第3話。スターウォーカーはどんな風にスター・ウォーズと一緒に人生を歩んできたのか、自分がスター・ウォーズを愛する原点はどこにあったのかを振り返りながら書いていこうと思います。

 

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特別篇がやってきた時

    『スター・ウォーズ/新たなる希望』は公開後20年目の1997年に特別篇が公開された。スター・ウォーズ・ファンなら特別篇が何かはもとよりわかっている方々がほとんどだと思うので、申し訳ないが説明は割愛させて頂こうと思う。

 だが、不思議なことに私は当時、この世間で盛り上がりを見せていた特別篇の公開には何故かそれほどの興味を示していなかった。というより、特別篇と題して、スター・ウォーズの映画が、再びスクリーンで上映されていることすら知らなかったのである。当時の私の感覚を言葉にして表現するならば、「なん出か知らないけど世間が、少しスター・ウォーズスター・ウォーズ騒いでいるな」くらいの表現がいいかもしれない。

 今から考えると、かなり勿体ないことだろう。スター・ウォーズ旧三部作がスクリーンで観れる機会などは、そうそうあるものではないし、実際その後そのような機会はないままだ。

 だから、私は、この時スクリーンでスター・ウォーズ特別篇は見ていない。私がスクリーンでスター・ウォーズを観るという初めての経験をしたのは、それから2年後の「スター・ウォーズ/エピソード1/ファントム・メナス」の時だ。

   あれほど昔から慣れ親しんだスター・ウォーズに対して、この特別篇の公開時は無関心でいた理由は、振り返ってみても不思議だが、おそらく私の中では、スター・ウォーズは完全に自分の世界の中にあって、世間一般の情報には疎かったのかもしれない。あるいは、スター・ウォーズがあまりに私の日常過ぎて、世間で騒がれてありほどに特別篇の公開が自分にとって特段特別に感じなかったからだろう。自分にとって、スター・ウォーズはいつも観ているものだったからだ。

   また、当時、私は小学校から中学校に上がった時で、周りの環境の変化の中で、新しいものへの興味が芽生えたりして相対的にスター・ウォーズに対する興味が薄くなったからかもしれない。

『新たなる希望』をカセットに録音

    だが、中学校に入っても、いかなる時もスター・ウォーズの世界に浸っていたかった気持ちは私の中に常にあった。

   この時のエピソードは、今でも時々思い出す。

   私は、東京都内の生まれだが、中学校に入って間もなく郊外に引っ越しをした。ただ学校は都内にあり都内の学校に通うため通学時間は1時間半ほどかかった。

   ある時、私は自宅にある父が購入したオーディオ機器を見て、ふとこの通学時間を有効に活用する方法を思いついた。

   私は、幼い頃からから何度も観た『新たなる希望』のV H Sの音源を、自宅のオーディオ機器を使い、カセットテープに録音したのである。

    というのは、通学時間は1時間半ほどかかったが、乗り換えや移動などの時間を差し引いて、電車に乗っている時間の1時と帰りの1時間、私は学校への往復2時間の通学時間を、このカセットプレーヤーを再生して、音声だけで『新たなる希望』を楽しむことにしたのだ。

   世間では、当時ポータブルCDプレイヤーが最盛期で、結局流行らなかったMD(ミニディスク)が出始めたころだったが、私はこの録音したスター・ウォーズを携帯型カセットプレーヤーで聴いて通学する生徒だったのだ。

   行きの1時間で、前半を、残り1時で後半を毎日飽きもせずに聞いていた。

   しかも、期末や中間試験の時でさえ、少しは英単語でも覚えればよいものを、いつでもスター・ウォーズの音声を聞いて、脳内再生してニヤニヤするという変態だったのだ。

   だが、この事は今考えるとかなり貴重な経験になった。というのも、このことがきっかけで、私はこの映画の持つ魅力を映画的に分析する思考を学んだからだ。前回でも少し話たが、私はこのころまで、「スター・ウォーズ」というものが映画史に残る金字塔的作品である認識がなく、つまり、「映画」として「スター・ウォーズ」を見ていたというより、私には「スター・ウォーズ」は「スター・ウォーズ」でしかなかったのだが、この頃から「映画」としての「スター・ウォーズ」を楽しむ側面も身につけるようになったと思う。 そして、そのきっかけになった出来事が、私の人生初のスター・ウォーズ映画考と言っていい、『新たなる希望』の時間分析だ。

 

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初?私のスター・ウォーズ考察

 通学時に録音した『スター・ウォーズ』を聞いていた私は、ある時ふと気が付いた。先も書いたように、通学の行きの時間はおよそ1時間なのだが、このスター・ウォーズ』が行きの1時間が終わるタイミングが、じつに良いところで終わるのだ。つまり、「さあ、これからどうなる!?後半もお楽しみに!」といったところで、私は帰りの帰路で聞く物語を楽しみにすることになるのである。

 具体的に言うと、ルーク、オビ・ワン、ハンらがちょうどオルデランに到着するため超空間から抜ける手前で、前半が終わるのである。

 そこで、私はスター・ウォーズ/新たなる希望』の開始からの時間と物語の進行を整理してみた。すると、この映画は、実に編集のリズムの見事な作品なのだ。

 まず、映画全体がぴったり120分(2時間)だ。そして、開始から60分(1時間)の折り返し地点はどこかというと、ファルコン号でオルデランに向かうルークが、オビ・ワンから船内でライトセーバーの練習をつけてもらい、ルークが「何かを感じました。見えたような気がしたんです。」と言い、オビワンが「それが新しい世界への第一歩だ」と答える場面で、そこがちょうど開始1時間なのである。そして、その直後に、ファルコン号は、超空間から離脱するシーンへ移る。

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    そして、後半は、デス・スターでの戦いと、クライマックスに向けて話が進むのはご承知のとおりである。

    この映画の不思議は、まずスター・ウォーズといいながら星間空間での戦いは少ないことなのだ。この映画の前半、ルークらがデス・スターに捕まるまでは、ひたすら砂漠の惑星での物語でしかない。ところが、後半は、デス・スター内の白兵戦、ファルコン号vsTIE戦闘機、デス・スター攻撃と、バトルシーンが続く。この折り返しが、ぴったり上映時間の半分のところなのだ。

 では、さらにその中間点、つまり前半の真ん中である、開始から30分、全体の1/4はどこかというと、サンド・ピープルに襲われて気を失っているルークがオビ・ワンと出会う場面なのだ。オビ・ワンが気絶しているルークを起こすシーンで開始30分。

 そうなると、気になるのが、後半の3/4、開始から1時間30分の場面だが、これは、オビ・ワンの死からルークがデス・スターから脱出した後、ファルコン号の中で、オビ・ワンの死を悲しむルークにレイアが寄り添う場面になる。

 さて、このようにして、この映画を分割して整理すると以下のようになる。こうみると見事な「起承転結」構成で、この映画は、なによりルークとオビ・ワンの師弟の話と言っていい。それぞれのポイントが話が次に展開していく節になっている。

   起でオビワンと出会い、承でルークはオビワンからはフォースについて学び、転でルークはオビワンと別れて、結でルークはフォースとオビワンの導きによりデス・スターを破壊するのだ。

   当時は、何よりオビ・ワンとルークの師弟愛に魅力を感じた私だったが、この魅力はこの緻密な構成の仕掛けが生み出したものだったのだ。(ちなみにこの時間分析については、今後別の記事としてより詳細をまとめて投稿しようと思う)

  • 00分:開始
  • 30分:オビ・ワンとの出会い
  • 60分:オビ・ワンからフォースを学ぶ
  • 90分:オビ・ワンの死
  • 120 分:終了

 私は、通学時に、この録音をカセットテープで聞いていたことで、この構成に気が付いた。おそらく映画を専門に勉強して、脚本や編集を学ぶ人間にとっては、当たり前の映画の構成の仕方なのだろうが、当時これに気が付いた私は、まるでフォースの導きによって、何かに辿り着いたかのように、一人心の中で何やら得意げになったのを覚えている。

 今振り返ると、おそらく、これがスターウォーカーの初考察と言えるかもしれない。まさしく、この時の私の気持ちは、ファルコンの中で、オビ・ワンにフォースを教わったルークのごとくだ。

 「何を感じた気がします。見えたような気がしました。」 

 当時は、まだこの映画の編集をした天才的編集者だったマーシャ・ルーカスのことや、『スター・ウォーズ』がアカデミー編集賞を受賞している作品であることも知らなかったが、この出来事は、さらなるスター・ウォーズの新たなる世界に入っていくきっかけとなっていった。

(続く)