StarWalker’s diary

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『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は何故メディアに絶賛されたのか?

スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が公開されて早くも1年が経とうとしています。『最後のジェダイ』に関しては以前にも様々な考察記事を書いてきましたが、今回は、もう一度この映画について考えてみて、これまであまり書かれていないこと、明かされていないことを今回書いておこうと思います。『最後のジェダイ』は何故あれほどメディアに称賛されたという不思議と、『最後のジェダイ』がこれまでのスター・ウォーズと全く違う点は、あることがわかると1つの鍵で理解できると思うのです。

《!本記事は『最後のジェダイ』の物語に関する内容を含みます

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はじめに

スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は何故あれほどメディアに絶賛されたのだろう?理由は一つではないだろう。以前にも私が考えることは様々な記事で書いてきたとおりだ。

だが、映画が公開された後のファンの賛否を考えても、当初メディアが何故あれほどこの映画を持ち上げたのか、その理由はどこか腑に落ちないところがある、というのは比較的多くの方が感じているところではないだろうか?

『最後のジェダイ』が最初にメディアに公開されたとき、アメリカの大手メディアはこの映画を大絶賛していて、マイナス評価をしていたメディアは全くなかった。だが、公開と同時に映画を鑑賞した疑問が残った。

確かに賛否が分かれるのは理解できたが、これはメディアが無条件でそこまで持ち上げるほどいい映画だったのかと。少なくとも、メディアに全く否定的評価が出てこないほどの映画だったとは思えなかったからだ。

このことが私も妙に引っかかっていたが、細かい描写の謎をひも解いていくと、この映画に隠れているある事に気が付く。そして、この映画の中に隠れたある法則がわかると、この謎は氷塊する。それは『最期のジェダイ』で描かれたレジスタンスの物語が、まさしくユダヤ人の物語であり、それがゆえにユダヤ系の支配するアメリカのメディアが大絶賛したのではないかと思ったのだ。

『最後のジェダイ』はユダヤ映画か?

この映画では、これまでのスター・ウォーズをはっきり違うことがある。それが、スター・ウォーズ映画において初めて「神」という言葉を、台詞に登場させたことである。

ローラ・ダーン演じる、アミリン・ホルドー中将は、惑星クレイトを目指す小型輸送艇に乗ったレジスタンスの生き残りの無事を祈って「Godspeed, Rebels」と呟く。私は、映画を鑑賞していてこの台詞を聞いた時、『最後のジェダイ』は、これはスター・ウォーズ映画ではなくなってしまった・・と感じ、この映画を通して感じた妙な違和感の正体が少しわかった気がしたのだ。

Godspeedは道中の安全を祈願するときの英語の慣用句だ。だがこれまでのスター・ウォーズの映画に描かれる世界には「神=God」という存在は描かれてこなかった。なにせ「フォースと共にあれ=May the Force be with you」という言葉が「神のご加護を=May God be with you」に代わるものとして使われているのがスター・ウォーズの世界であり、そこにはフォースが存在しても神は存在しないのである。

だから当然、英語圏で使用されるように「God bless you」とか「Oh my God」といった慣用表現はスター・ウォーズには登場しない。

だが『最後のジェダイ』では「Godspeed, Rebels」という表現が登場したのだ。これは、明らかに製作陣が意図的にやったことだ。なぜなら、スター・ウォーズ映画を作ることになった人間が、このような世界観の整合性を知らないはずななく、それを崩した台詞周りを採用していることは、明らかに意図をもってやっていることだからだ。

 

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ルーク=モーゼ?気になる共通点

ルーク・スカイウォーカーは、この映画の中で、明らかにモーゼとしての役割を与えられているように感じる。モーゼとは旧約聖書に登場する古代イスラエルの指導者であり、エジプトにて奴隷労働に従事し虐げられていたヘブライの民を率いてエジプトを脱出した『出エジプト記』が有名である。

さて『最後のジェダイ』に見られるルーク・スカイウォーカー預言者モーゼとの類似点を挙げてみよう。

ときに主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。

出エジプト記』3章2節

預言者モーゼの一般的な解説は、このブログで詳細には書かないが、モーゼが生まれた当時、ヘブライ人はエジプト人に虐待されていた時代だった。モーゼは、ある時、あるヘブライ人がエジプト人に虐げられている場面を見て、ヘブライ人を助けるのだが、この時、エジプト人を殺してしまったために、ファラオから逃れて羊飼いとして暮らすことになる。

だが、ある時、ある日燃える柴の中から神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地であるパレスチナへと導くという使命を与えられる。これによって、モーセはこの言葉通りに、イスラエルの民を導き、エジプトを脱出するわけだ。

この時に、海が二つに割れた奇跡などは説明せずとも有名だろう。だが、ここで注目したいのは、モーセが神からその使命を与えられる重要な場面についてだ。これは『出エジプト記』3章2節に書かれているが、モーゼは「燃える柴の炎の中に現れた神」によって、その使命を受けるのである。

さて、『最後のジェダイ』では、ルーク・スカイウォーカーが、惑星オクトーにあったジェダイの古文書を納めた木の祠を燃やそうとして躊躇するが、そこにヨーダが現れ、この木の祠を燃やしてしまうのである。

ヨーダはルークに教えを授ける。これによって、ルークは『最後のジェダイ』の最後でレジスタンスのメンバを脱出させる使命を果たすことになるのである。

説明は不要だろう。この部分は、まさしくルークの話がモーセの話になぞらえて描かれている部分といえるのである。『最後のジェダイ』は、ルークによる『出クレイト記』というべき作品になっているといえる。

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また、ルークの最期についても一言書いておきたい。というのも、旧約聖書によればイスラエルの民を率いて、約束の地を目指したモーゼだったが、約束の地に入ることを許されずに死を迎える。これは『出エジプト記』の後の『申命記』の中に書かれているが、この記述も非常に面白い。

この日、主はモーセに言われた。「あなたはエリコに対するモアブの地にあるアバリム山すなわちネボ山に登り、わたしがイスラエルの人々に与えて獲させるカナンの地を見渡せ。 あなたは登って行くその山で死に、あなたの民に連なるであろう。あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に連なったようになるであろう。

申命記』32章48節~50節

モーセはモアブの平野からネボ山に登り、エリコの向かいのピスガの頂へ行った。そこで主は彼にギレアデの全地をダンまで示し、ナフタリの全部、エフライムとマナセの地およびユダの全地を西の海まで示し、ネゲブと低地、すなわち、しゅろの町エリコの谷をゾアルまで示された。そして主は彼に言われた、「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない」。こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。

申命記』34章1節~5節

少し長く引用したが、モーゼは、ネボ山の山頂に上り、そこで約束の地を目の前に見て死んでいくのである。詳細は割愛したいが、モーゼは『民数記』20章に書かれているメリバの水の事件において、主を信じずに、自らが放漫なふるまいにより、自分が神であるかのごとき振舞ってしまったがために、このネボ山の山頂で、約束の地に入ることを許されずに死を向かえるのである。

さて、『最期のジェダイ』のルークはどうであったか?ルークも、まさしく惑星オクトーの山の上で、故郷のタトゥイーンの二重太陽を目の前にして死んでいくのである。

ユダヤ教は、旧約聖書でも、特に『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数紀』『申命記』をモーセ五書と呼び、聖典とするが、この映画におけるルークの描かれ方がモーセと重なるのであれば、『最後のジェダイ』はまさしくユダヤ教の映画であるといえる。

ちなみに、旧約聖書では、モーゼの後を継いだヨシュアイスラエルの民を率いて約束のカナンの地を征服する戦いをしていくが、この流れは、まさしくルークからレイへの継承と重なってくる。

 

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レジスタンスはイスラエルの民か?

物語の後半で、レジスタンスは惑星クレイトと呼ばれる惑星へ撤退するがファースト・オーダー軍に追い詰められる。惑星クレイトはある意味で非常に面白い。これは私もかつてまとめて記事(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の謎解き 〜なぜレジスタンスは惑星クレイトを目指すのか?〜 【ネタバレ・考察】 - StarWalker’s diary)にしたことがあった。

もう一度、要点だけ紹介すると、この惑星クレイトが塩で覆われた地表を持つ惑星であり、そこでレジスタンスが戦うことは非常に大きな意味がある。

塩というのは、旧約新約聖書において社会の腐敗を正し清める人々の象徴であり比喩として使われる言葉なのだ。これは、ユダヤ教における塩が清めの役割を果たす重要なものだからで、旧約聖書にもちゃんと書いてある。

以前の記事(『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の謎解き 〜なぜレジスタンスは惑星クレイトを目指すのか?〜 【ネタバレ・考察】 - StarWalker’s diary)では、私はどちらかというと、キリスト教との関係を述べたのだが、よく考えてみれば、塩に関する言及は、そもそも旧約聖書に書かれていることであり、ユダヤ文化においてこそ重要な意味を持つものだ。

この映画で、ファースト・オーダーから逃れるレジスタンスは、映画冒頭の戦闘以外、全く持って抵抗をせず、ただ逃げているだけだった。

だが、何故このような逃避行の物語になったのだろうか。私は、これまで何度も故郷を追われながら特定の土地に住まず追われてきたイスラエルの民族の物語に重なって見えてしまうのである。

この映画のラストで、レイはレイアにレジスタンスを再建できますか?」と尋ねていた。この再建という言葉は非常に象徴的な言葉に聞こえる。というのも、これは、まさしく世界各地に散ったユダヤ人が彼らの祖国を再建したいと願うことに重なって聞こえるのだ。

ファースト・オーダーの追撃を逃れて、ミレニアム・ファルコン号に登場したわずかなレジスタンスの兵士たち。彼らは、辛うじてミレニアム・ファルコン号で銀河へと脱出する。だが、ホルドー中将が劇中で語っているように、銀河各地に散らばった人々が、レジスタンスのシンボルを見てその再建を願っている。

印象的な最後の場面で登場した少年の姿は、銀河各地に散り虐げられながらも希望を失わず生きるレジスタンスを象徴すると同時に、イスラエルの国の再建を願うユダヤの民の姿そのものにも見えてくるのである。

 

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そして、アメリカ・メディアは絶賛した

さて、ここで少しスター・ウォーズ・ファンにはつまらない話を書こうと思う。だが、これがわからないと、この記事で書こうとしている「なぜアメリカのメディアが『最後のジェダイ』を絶賛したのか」がわからなくなる。

アメリカの主要メディアは、ワーナー・メディア、ウォルト・ディズニー・カンパニー、バイアコムニューズ・コーポレーション、CBS、GEの6グループで、ABC、NBC、CBSの三大ネットワークは、それぞれのこれらのグループのもつメディアだが、これらのメディアの経営層や資本はユダヤ系の寡占である。つまり、アメリカのメディアはすべてユダヤ系の支配下にあるのだ。これは、日本人には知る人は少ないかもしれない。

若干、余談になるが、そもそも歴史を辿れば、ハリウッド映画を作ったのは皆ユダヤ人達なのである。したがって、ハリウッド映画におけるユダヤ人の影響力は、ここであらためて書きおこすこともないことだが、 簡潔に要点だけを書いておく。

歴史的な経緯を説明することは省略するが、東欧ユダヤ系の移民たちは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカに流れ込んできた。これは、当時のロシア帝国ポグロムと呼ばれるユダヤ人排斥運動により迫害された東欧ユダヤ系の移民たちは、主に不動産業と映画産業の中に入っていく。

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の創業者、ルイス・B・メイヤー、20世紀フォックスのウィリアム・フォックスをはじめ、ワーナー・ブラザーズを創ったワーナー兄弟たちは、ポーランドユダヤ人だし、パラマウントのアドルフ・ズーカー、コロンビア映画のハリー・コーン、ユニバーサル映画を設立したカール・レムリもみんな、この時のロシアを追われてアメリカに渡ったユダヤである。

ちなみに、東欧ユダヤ系と違って、ドイツ系ユダヤ人は、中世ヨーロッパのキリスト教支配のもとで悪とされた金貸しを担っていた歴史的背景から金融業で成功していく。マーカス・ゴールドマンが創業したゴールドマン・サックスは一番いい例だろう。 

ここまで説明すれば、『最後のジェダイ』がメディアに大絶賛だった理由は言うまでもないだろう。『最後のジェダイ』は実にユダヤ教的映画であり、それについて評価するメディアはユダヤなのだから。むしろ称賛しない方がおかしいくらいだ。 

ライアン・ジョンソンは今回の作品にあたって、自分がこれまで一緒に仕事をしてきた人材を集結させているが、今回キャスリーン・ケネディと一緒にプロデューサーとして加わったのが、ラム・バークマンだ。彼は、『BRICK/ブリック』以降、全てのライアン・ジョンソン監督の作品をプロデュースしてきたが、そんなラム・バークマンラム・バーグマン - Wikipediaは、何を隠そうイスラエル出身のイスラエルなのである。

そして、そもそも、ルーカスフィルムの親会社であるウォルト・ディズニー・カンパニーの会長兼CEOであるボブ・アイガーボブ・アイガー - Wikipediaだって、ニューヨーク・シティー出身のユダヤである。 

 

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「ハリウッド」映画になったスター・ウォーズ

スター・ウォーズ』とは、もともと、いわゆるハリウッド映画ではない。というのは、ジョージ・ルーカスという人間は、ハリウッドを嫌い、製作者が自由に映画を作れる環境を望み、ルーカスフィルムを作った男なのである。

だから、ルーカスフィルムは、ハリウッドのあるロサンゼルスではなく、カルフォルニア州の北部マリン群、サンフランシスコのベイエリアに近い場所にあるのだ。

スター・ウォーズ』は、オープニングテーマが有名すぎるために、その冒頭に流れる20世紀フォックスのファンファーレも一緒に有名になってしまい、20世紀フォックスの印象が非常に強いが、20世紀フォックスはあくまで配給をしてるだけであり、製作はルーカスフィルムであり、ハリウッド映画ではないのである。

だが、ルーカスフィルムは、ディズニーの傘下に下ることになった。すなわち、これ以降に作られるスター・ウォーズ映画は、すべてハリウッド映画となってしまったのだ。

『最後のジェダイ』は、非常に政治的主張の強い映画だった。

レジスタンスとファースト・オーダーの戦いは、反乱軍と帝国軍の戦いの延長である。だが、旧三部作は、反乱軍と帝国軍の戦いだったわけだが、ここには政治的主張は全くなかった。確かに反乱軍にはモン・マスマという指導者がいるのだが、こういった政治的ドラマは映画には全く登場しないのが旧三部作だった。

当然ながら、反乱軍が帝国軍と戦う裏では、モン・マスマやその他の共和国系の議員がいたはずで、こういった政治的指導者の活躍や、政治ドラマは物語としては存在するに違いないのだが、唯一登場するモン・マスマでさえ、ジェダイの帰還では作戦の背景を説明するだけに登場しているだけで、彼女が「自由と平等のために戦おう」など政治演説をすることはなかったわけだ。

今回、ホルドーやポー・ダメロンは、「自分たちはファースト・オーダーを倒す炎となる火花なのだ」という演説をするのだが、このような僅かな台詞でさえも、旧三部作には「主義」というものを訴えるようなものはなかったわけで、だからこそ、旧三部作は、こういった現実世界における政治的な主義主張といったものとは切り離して映画を観ることができた。

逆に、こういった主義の主張が入ってきた瞬間に、それは現実的な政治的思想を連想しないことが難しくなり、スター・ウォーズには似つかわしいものになってしまうように私には感じられたのが『最後のジェダイ』だった。

旧三部作では、やはりダース・ヴェイダーや銀河皇帝のキャラクターが強烈であり、最初に映画に登場したときに、この銀河帝国というものが邪悪でかつ巨大な悪であり、倒さねばならないものである、という必要最低限の共通の認識が、映像を通して観客の中で出来上がっていた。だからこそ、台詞で余計な主義主張をせずとも、映画として楽しむことができ、それだけで十分だったのである。

それに対して、『最後のジェダイ』は露骨に現代のアメリカ、そして世界の抱える社会的問題を意識させてしまうような描写が入っていたのだから、この辺りの主張が露骨に、ユダヤ資本の支配するアメリカのリベラル・メディアの代弁した形になってしまっていたわけだ。これは「スター・ウォーズ」がもはや「ハリウッド」映画となってしまったことを如実に表しているといえるだろう。

まとめ

 『最後のジェダイ』を見て最初に感じたことは、どうもスター・ウォーズらしさみたいなものが感じられないという奇妙な違和感だ。たしかにルークはいるし、ヨーダもいるし、泣かせてくれたところもあるのだが、ところどころに流れる以前の使い回しに近いジョン・ウィリアムズの曲も、スター・ウォーズ的な要素が、どうも溶け込んでおらず、浮いているといったらいいだろうか。

この辺りの謎は、ずっともやもやしていて残っていたわけだが、今回ここで書いたようなことを考えると、これはまさしくスター・ウォーズを完全にユダヤ人の物語に当て込んで作られているがために生じた違和感なのではないかと思うのだ。

断っておきたいが、私は、別にユダヤ人が嫌いだとか、特定の人種に対して差別しようとしているわけではないし、そんな思想は持っていない。私は、『最後のジェダイ』は他の作品と比べると、好きではない。だが、だからといって、エピソード8を作り直せとか(そう思う気持ちは十分に理解できるし、その気持ちは以前の記事でも吐露したことは読者の方々もご存知だろうと思います・・)、また、あるアジア系女優への誹謗中傷の類は全く持って支持できないし、本作は本作としてライアン・ジョンソン監督の一つの作品として尊重されるべきだと思っている。

だが、『最後のジェダイ』が、ここまでアメリカの大手メディアに絶賛された理由に、ここで述べてきたような背景と理由があったとするのであれば、あの大絶賛もよく理解できるのではないだろうか。

日本では、あまりこの辺りのアメリカの事情を分かる方も多くはないと思うので、理解しづらい部分かもしれず、実際に、あまりそのような視点で『最後のジェダイ』の評価を分析している方もいないように感じたため、今回公開約1年というタイミングで本記事にまとめてみようと思った次第である。